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    <title>あきの哲学メモ</title>  
    <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/</link>  
    <language>ja</language>  
    <pubDate>Sun, 13 Sep 2009 12:17:33 +0900</pubDate>  
    <description><![CDATA[哲学って、難しいものじゃない！心の哲学を中心に、考えたことをメモしていきます。メインブログは「あきの読書日記」です。興味のある方は、こちらもどうぞ☆]]></description>  
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    <item> 
      <title>他人の心</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-09-13</link>  
      <category>自己の哲学</category>  
      <pubDate>Sun, 13 Sep 2009 12:17:33 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-09-13</guid>  
      <description><![CDATA[<p>小さい頃、もしかしたら、他の人には、私の考えていることがわかってしまう人がいるんじゃないか、なんて思った頃があります。<br />
<br />
自分自身のことしかわかりようがなく、そういう人がいないとは言い切れない。<br />
でも、一般的に、他の人の心は知ることができないと思われている。<br />
「わかる」というのは「推測する」のとはまた違うからね。<br />
自分には出来ないから、みんなそうだと思うのか。<br />
そういう人に出くわしたことがないとか。<br />
脳の能力として、メカニズム的に不可能？<br />
<br />
でも、他人の心がわかるとしたら、どのようにわかるのだろうか。<br />
自分の考えていることのように感じるとしたら、自分のこととどうやって区別できるのか。<br />
言葉が響いてくる？でも、心って、言葉で表されるのって、ほんの一部だと思うし。<br />
<br />
現在の私が、他人の心がわかる人がいると思っているわけではありませんが。<br />
むしろ否定的に思っているし。<br />
でも、可能性を否定することはできないんじゃないかな、と思うわけです。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>過去と未来</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-09-07</link>  
      <category>時間の哲学</category>  
      <pubDate>Mon, 07 Sep 2009 13:40:26 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-09-07</guid>  
      <description><![CDATA[<p>そもそも、過去と未来はどのような概念なのだろうか。<br />
<br />
文字通りに受けとれば。<br />
過去とは、過ぎ去った時。<br />
未来とは、未だ来ぬ時。<br />
<br />
過去は、変えることが出来ない。<br />
<br />
未来は、知ることが出来ない。<br />
<br />
過去と未来の関係を表す、数直線のような考え方もあります。<br />
<br />
でも、すでに線があって、過去から未来へ線上を移動するような<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">イメージ</a>は、ちょっと違う気がします。<br />
<br />
かといって、現在から無数に線が延びているのも、賛成ではありません。<br />
<br />
過去については一本の線で表すとしたら、未来は線はなく、現在で切り開いていくようなイメージでしょうか。<br />
(線を引くとき、引かれた線が過去、今書いている鉛筆のあるところが現在、まだ何も書いていないところが未来)<br />
<br />
過去の方も、いろんなところでいろんなことがからみあっているので、一本で表すのもちょっと違う気もするけれど、それとこれは別の話ということで。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>神話・宗教</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-30</link>  
      <category>神の哲学</category>  
      <pubDate>Sun, 30 Aug 2009 13:11:04 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-30</guid>  
      <description><![CDATA[<p>全知全能の神は存在するのだろうか。<br />
<br />
神話や宗教って、昔の人が、世界ってどうなっているんだろう？という疑問を満足させるために創られた、というのもあると思うのよね。<br />
もちろん、それだけではないけれど。<br />
規律のようなものであったり、人びとの依りどころとなるわけだから。<br />
<br />
神話も宗教も、とても興味はあります。<br />
教訓とか生きるうえでの道しるべになったりとか、そういう意味では、とても素晴らしいものだとは思います。<br />
<br />
でも、神様の存在だけは、どうも信じることが出来ません。<br />
<br />
神という言葉の意味とは異なると思うけど、なんかそういう、超越したようなものって、自分の中にあるのでは、なんて思ったりしています。うまくいえないけど。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>死後の世界</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-26</link>  
      <category>死の哲学</category>  
      <pubDate>Wed, 26 Aug 2009 20:38:50 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-26</guid>  
      <description><![CDATA[<p>前に、「あの世」があると仮定して、死んだ人は皆そこへ行くとしたら、あの世の人口は増える一方で、すごいことになるんじゃないか、なんて思ったことがあります。<br />
そもそも、「広さ」の感覚が、「この世」の感覚と異なるとすれば、そんなことを問題にする意味がないのだろうか。<br />
<br />
そんな中、「天国からはじまる物語」という本（小説）を読んで、こんな考え方もあるのか！と、すごい目からウロコな気分でした。<br />
死後の世界、この話では「ドコカ」では、死んだときの年齢から若返っていって、0歳になると、またこの世に生れ落ちる。<br />
これなら、人口の問題は関係ないしね（笑）。<br />
輪廻の考え方の、アレンジバージョン！？<br />
<br />
また、「この世」で幽霊が存在するとしたら、いろんな時代の幽霊が混在しているということになるのだろうか。<br />
霊がみえるという人は、原始人の霊と、現代の霊が一緒にいたりするところがみえるのだろうか？<br />
動物の霊とかはないのだろうか？<br />
そんなにいっぱいいたら、それこそ、そこらじゅう霊だらけになっちゃうよね。<br />
でも、なんとなく、そういう霊って、現世に未練を残しているからっていうイメージだよね。<br />
で、成仏していなくなるっていう。<br />
じゃあ、成仏したら、どうなるの？<br />
原始人とかは、そんなに未練とかなさそうだから、あんまりいないのかも・・？<br />
勝手なイメージですが・・。<br />
<br />
でも、死後の世界についてのあれこれは、死の恐怖を和らげるための思想にすぎないと、私は思っています。<br />
死ぬということは、脳の活動が止まって、心が存在しなくなるということ。<br />
「本人」にとって死後の世界というものは存在せず、残された人々の記憶によってのみ、生き続けていくのだと思います。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>他人の見ている色</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-22</link>  
      <category>自己の哲学</category>  
      <pubDate>Sat, 22 Aug 2009 08:01:51 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-22</guid>  
      <description><![CDATA[<p>「今見ているこの色は、他人が見ている色と同じ色なのか？」<br />
<br />
そんなことを思ったことはないだろうか。<br />
<br />
あなたと私は、同じ色を見ている。<br />
私はその色を緑と思っていて、あなたも緑だと思っている。<br />
<br />
ところが。<br />
私にとっての緑であっても。あなたが緑と思っている色は、私には赤に見える色のことを、緑と思っているのかもしれない。<br />
<br />
仮にそうだったとしても、なんの不都合も生まれない。<br />
<br />
こうしたクオリアについては、自分自身のことしかわかりようがなく、確かめることが出来ないのだ。<br />
<br />
ただ。<br />
私は、同じ色を見ていても、みんなそれぞれ違う色に見ていると思っています。さすがに、緑を赤とまでは言わなくても。<br />
色覚異常とまで言わなくても、主観や体調によって変わってくるような気がします。<br />
<br />
私はねずみ色だと思っていたのに、母は青系だって言ったことも…。<br />
これは、実際に見ている色の違いというより、経験してきた色の違いというか、言葉のニュアンスの違いという気もしますが。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>カシオペイアの未来</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-20</link>  
      <category>時間の哲学</category>  
      <pubDate>Thu, 20 Aug 2009 14:16:56 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-20</guid>  
      <description><![CDATA[<p>カシオペイアとは、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E3%83%9F%E3%83%92%E3%83%A3%E3%82%A8%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ミヒャエル</a>・エンデの「モモ」に出てくる、カメの名前(名前が違っていたら、ご一報を…)。<br />
<br />
カシオペイアは、未来を知ることができるのだ。<br />
３０分という近い未来ではあるけれど。<br />
<br />
でも、未来を知ることができるからといって、それがよくないことだったとしても、それを避けることはできない。その通りになってしまう。<br />
<br />
私も、未来を知るということは、そういうことだと思うのだ。<br />
<br />
でも。そもそも、未来を知るということが、ナンセンスだとも思っていたりして。<br />
机上の問題というか、実現不可能なことだと思っているから。<br />
<br />
それでも。思考実験は面白い。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>人混み</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-12</link>  
      <category>日常の哲学</category>  
      <pubDate>Wed, 12 Aug 2009 18:18:46 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-12</guid>  
      <description><![CDATA[<p>当たり前のことなんだけど。<br />
<br />
駅とか、人がたくさん集まるところに行くと、たまに不思議で面白い気持ちになります。<br />
<br />
「この大勢の、一人一人みんなに、それぞれ意識があって、いろんなことを考えたり感じたりしているということ」<br />
<br />
当たり前のことでも、普段あんまり意識して考えないよね。<br />
それともみんな考えたりしているのかな。<br />
<br />
こんなことを思って、不思議な気持ちになる私は、変わっているのかしら(^^;<br />
<br />
※しばらく、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E6%90%BA%E5%B8%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">携帯</a>からの投稿が続きそうです。<br />
コメントの返信は<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">パソコン</a>からしたいので、遅れております。申し訳ありません。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>死を恐れること</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-09</link>  
      <category>死の哲学</category>  
      <pubDate>Sun, 09 Aug 2009 14:26:05 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-09</guid>  
      <description><![CDATA[<p>一般的に、人は死を恐れると思う。<br />
「恐れ」とまでは言わなくても、「死にたくない」と思うこと。<br />
それはなぜだろう？<br />
<br />
１つめ。<br />
未知の世界であるから、皆死を恐れるのではないのだろうか。<br />
人は、体験したことのないことに、恐れを感じる。<br />
もちろん、恐れだけではなくて、好奇心を覚える体験もあったりするけれど。<br />
何が起こるかわからない、想像がつかないことに、不安になる。<br />
この不安を和らげるために、神話とか宗教とかが、一役かっているのでは。<br />
<br />
２つめ。<br />
やり直すことが出来ない、不可逆的なことであること。<br />
死んだら、それで終わり。<br />
生き返ることが出来るなら、恐れることもないのではないだろうか。<br />
<br />
３つめ。<br />
現世への未練。<br />
まだやりたいことがある心残り。<br />
再び親しい人に会うことができない哀しみ。<br />
未来を見届けることが出来ない悔しさ。<br />
<br />
４つめ。<br />
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">イメージ</a>自体がマイナス。<br />
死に伴う苦痛。<br />
<br />
５つめ。<br />
無になること。<br />
今考えたりしている自分の存在がなくなることの恐怖。<br />
<br />
<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">その他</a>。上に分類できるかもだけど。<br />
・残される者たちへの思い、不安。<br />
・忘れ去られることへの恐れ。<br />
<br />
きっと、他にも理由はいろいろあると思うけど…。<br />
結局、人それぞれなんだよね。<br />
<br />
私自身は、実は、死にたいと思うことこそあれ、死にたくないとは思っていない。<br />
自ら死のうとは思わないけどね。<br />
<br />
そう思っていても、仮に殺されそうになったときには、死にたくない！と思うのだろうか。<br />
<br />
それでも、４つめに挙げた、死に伴う苦痛は嫌だね。<br />
死ぬときは、それこそ眠るように死にたいものです。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>心身問題(心脳問題)</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-01</link>  
      <category>心の哲学</category>  
      <pubDate>Sat, 01 Aug 2009 20:18:58 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-08-01</guid>  
      <description><![CDATA[<p>その名の通り、脳(身体)と心の関係についての問題です。<br />
<br />
一般に大きく分けると、唯物論、唯心論、二元論に分かれます。<br />
<br />
これも、私の立場は確立出来てはいない。<br />
でも、唯物論者とは言い切れないけれど、それにかなり近いと思う。<br />
<br />
脳のはたらきを、心というのでは、だめなのだろうか。<br />
脳神経の、ニューロンの発火が、なぜ痛みになったり、視覚になったりするのか。<br />
それを同一のものと考えるのは、どうして納得できないのだろうか。<br />
<br />
胃のはたらきが消化することというように、脳のはたらきが心だと思うのだけれど。<br />
物質と精神が、どうして結び付くのか、というのが<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">ポイント</a>なんだよね。<br />
<br />
精神は物質に依存していると思う。<br />
この痛みを感じる感じ(この「○○という感じ」を「クオリア」という)、これを脳のはたらき、ニューロンの発火と<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">イコール</a>と考えることに、私は抵抗はない。<br />
<br />
脳がクオリアを「生み出す」というのとも、違うと思う。<br />
やっぱり「イコール」だと思うんだよね。<br />
もちろん、「脳」イコールではない。<br />
「脳のはたらき＝心」ということ。<br />
<br />
クオリアを感じるのは否定しない。<br />
だから、心がないとは言えない。<br />
したがって、物質しかないとも言えない。<br />
<br />
でも、心って物質じゃないと言えるのか？<br />
心は物質であるということ…！？<br />
<br />
重力とかだって、物質そのものではないけれど、物理的だよね。<br />
物質のはたらきの一つじゃないか？<br />
それと同じように考えては、いけないのだろうか？<br />
<br />
そもそも、最初に挙げた、唯物論、唯心論、二元論の他に、道があってもよいのではないだろうか？<br />
<br />
※諸事情により、<a href="http://match.seesaa.jp/afr.pl?hid=25&sid=aki-sophy:000243499759&k=%E6%90%BA%E5%B8%AF&ic=utf8" class="affiliate-link" target="_blank">携帯</a>からの投稿です。<br />
長文は打つのが大変(^^;<br />
そして、推敲も大変。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>心</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-07-20</link>  
      <category>心の哲学</category>  
      <pubDate>Mon, 20 Jul 2009 13:40:57 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-07-20</guid>  
      <description><![CDATA[<p>心って、何だろう？<br />
何をもって、心とするのか、これまた定義があいまいです。<br />
<br />
例えば、喜怒哀楽。知覚。意志。記憶。<br />
<br />
前に、お母さんが新聞の切抜きを取っておいてくれたのですが。<br />
アリの実験で、あることをするとアリが混乱してしまうので、アリにも心がある！？というような内容でした。<br />
（詳しい内容は忘れてしまいました＞＜）<br />
<br />
これを読んだときに、心の定義って、人それぞれだな～ってすごく思ったのです。<br />
<br />
皆、人間には心があると思っています。<br />
それならば、犬は？鳥は？魚は？昆虫は？植物は？<br />
これは、人によって意見が分かれます。<br />
それは、心の定義が違うからでしょう。<br />
<br />
以前私は、脳を持つものが心を持つものだと思っていたのだけれど。<br />
<br />
嫌なものから遠ざかろうとする本能。<br />
これは心の現われだと思っていて、動物ならば皆持っているのではないか。<br />
<br />
動物ならば（アリとかでも）、痛みは感じるのだろうか？<br />
当事者になれない以上、答えはわからないのだけれど。<br />
<br />
植物だって、子孫を残そうと進化したのだろうし、植物に心がないと言えるのだろうか。<br />
そうすると、有機物ｖｓ無機物となるのだろうか。<br />
<br />
植物でも、切り倒して机となったものには、心があるとは考えにくい。<br />
それを言ったら人間だって、死んでしまったら心はあるのだろうか。<br />
<br />
それでも、やっぱり心は脳の働きだという考えは、根本的にあるもので・・。<br />
<br />
今回いろいろ考えていたら、わからなくなりました。<br />
まさにメモ状態で、まとまりのない書き散らし。<br />
しかも、「心とは何か」から「心があるものは何か」に論点がずれてるし・・。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>自由意志</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-07-11</link>  
      <category>自由の哲学</category>  
      <pubDate>Sat, 11 Jul 2009 07:05:17 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-07-11</guid>  
      <description><![CDATA[<p>私がまさに卒論で扱ったテーマです。<br />
私たち人間に、自由はあるのか！？という問題です。<br />
<br />
結論からいうと。ずばり<br />
<br />
①行動の自由はあるが<br />
②意志の自由はない<br />
<br />
というのが私の持論です。<br />
<br />
②に対しては、反論もあるかとは思いますが。<br />
<br />
自由と一言でいっても、定義があいまいなんです。<br />
「○○しようとして○○できる」のが、「思い通りにできる」のが自由かと思っていて。<br />
これは①です。<br />
私たちが自由である、という自覚は、①によるものだと私は考えます。<br />
おそらくみなさんが、自分が自由であると思う理由をあげると、きっと①ばかりになると思うのです。<br />
<br />
では、○○しよう、というのはどこからきているのでしょうか？<br />
自分の意志で、「リンゴを食べようとして、リンゴを食べる」。<br />
これは問題ありませんが。<br />
「リンゴを食べようと思おうとして、リンゴを食べようと思う」。<br />
これって変だよね。無限にさかのぼっちゃうし。という以前に、そんな風に考えないのが普通です。<br />
おなかが空いたから、とか、おいしそうだから、食べようと思うんです。<br />
<br />
強制的、言葉は何と言っていいのかわからないけれど、思いは勝手に心に浮かぶもの。<br />
中には、思い出そうとして思い出したり、計算したりとかいうのもあるけれど、意志というのは、大半が無意識に発生するというか、なんというんでしょうか。<br />
「食べよう」という意志は、意図的にしようとして出てきたわけではないのです。<br />
「食べようと思って、食べない自由」はあっても、「食べようと思わない自由」はないのです。<br />
「食べよう」というより、「食べたい」といった方がしっくりくるかな。<br />
<br />
ただ。無意識の自由ってあるのだろうか・・？<br />
そもそもの自由意志の問題って、こういうことじゃないのか・・？<br />
自由意志の否定＝決定論の肯定、というのも素直にうなずけないし・・。<br />
まだまだ議論の余地がありそうです。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>歴史</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-07-05</link>  
      <category>時間の哲学</category>  
      <pubDate>Sun, 05 Jul 2009 07:57:57 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-07-05</guid>  
      <description><![CDATA[<p>1年くらい前に、「クレオパトラの謎」と「英仏百年戦争」を読んで思ったこと。<br />
<br />
クレオパトラの鼻が、もう１ｃｍ低かったら、世の中は変わっていたのではないか、という問いに対し、結局のところ、変わらない、という。<br />
また、ジャンヌ・ダルクが現れなかったら、勝敗は変わっていたのではないか、という問いに対し、結局は、英仏連合王国はありえなかっただろう、という。<br />
大まかな歴史の流れは、似たような別の何かによって同じような流れとなるだろうということで。<br />
<br />
でも、クレオパトラが生まれていなかったら、ジャンヌ・ダルクが生まれていなかったら。<br />
やっぱり歴史は変わっていただろう。<br />
第一、彼女らが生まれていなかったら、今こうしてこの話題をすることさえ出来ないのだから。<br />
<br />
もしかしたら、歴史の偉人がいなくても、別の人物が現れ、同じようなことを成し遂げ、似たような世界になっていたかもしれない。<br />
でも、それは同じ世界ではない。<br />
大まかに変わらないとしても、全く同じではないのだから。<br />
それどころか、随分違う世界であると私は思うし。<br />
<br />
そんな偉人でなくても。<br />
たとえ私だって、今日何をするかで、歴史は変わっていくのだ。<br />
大袈裟な話じゃなくて。<br />
<br />
多くの数え切れない連鎖が重なって、現在があり、未来へと続いていく。<br />
そう思うと、今があるというのは、非常に不思議で奇跡だと思うのでした。<br />
<br />
※そんなことを考えていても。<br />
特別現在を大切に生きているわけでもなく、選択を考え抜いているわけでもない（優柔不断だけど・・）。<br />
常にそう思っているわけではないけど、歴史って奇跡だな、とは時々思うのでした。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>他者になるって</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-06-30</link>  
      <category>自己の哲学</category>  
      <pubDate>Tue, 30 Jun 2009 18:31:11 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-06-30</guid>  
      <description><![CDATA[<p>小学１・２年生の頃、Ｎさんという、スポーツができる人気者のクラスメイトがいました。<br />
<br />
あるとき、Ｎさんになりたいな、と思ったのだけれど、すぐに、Ｎさんになったら、Ｎさんになったっていう自分がわからないから、なっても仕方がないんじゃないか、と考えました。<br />
小学校低学年のときに、そんな哲学的なことを考えていたのね。<br />
<br />
「Ｎさんになる」とはどのようなことか。<br />
<br />
自分Ａの意識をもったまま、Ｎさんの身体の意識となる。<br />
乗り移るっていうことか。<br />
それでは、Ｎさんの意識はどうなるのか？<br />
身体はＮさんでも、思考がＡのままでは、振る舞いや発言がＮさんではなくなる、Ｎさんではないようにみえるだろうし、Ｎさんになったとは言えないのでは。<br />
でも、その地位や待遇、能力はＮさんとして味わうことは出来る。<br />
でもきっと、一般的に○○さんになるというイメージは、こんな感じだろうね。<br />
ドラえもんの道具にありそうだもん（笑）。<br />
<br />
Ｎさんの意識はそのままで、さらに傍観するようにＡの意識も入る。<br />
Ａは直接Ｎさんに指示を出すわけではなく、ただ見ているだけ。<br />
これだったら、身体も思考もＮさんのまま。Ｎさんになったといえるのか？<br />
Ａの思考はどうなるのか？どう影響するのか？<br />
ＮさんはＡの意識が入っていることに気づくのか？<br />
見ているだけで、影響しないとしても。<br />
Ｎさんになりたいって、こういうことじゃない。<br />
<br />
私が当時考えたのは、まるきり身体も意識も全てＡ→Ｎさんになるということ。<br />
Ｎさんになったら、Ａの意識がないわけだから、Ｎさんになったということさえわからない。<br />
Ａの意識を引き継いでいるのは、最初の例だからね。<br />
これでは、Ｎさんになった意味がない。<br />
でも、純粋にＮさんになるというのは、そういうことだよね。<br />
今でもそれは、そう思っている。<br />
<br />
Ｎさんになりたい、ではなく、Ｎさんみたいになりたい、が正しい日本語でしたね（笑）。<br />
<br />
※第一弾がこんなんでよかったのだろうか・・（＾＾；<br />
カテゴリーの分類がいまいちかも。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>私の哲学</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-06-26</link>  
      <category>私の哲学</category>  
      <pubDate>Fri, 26 Jun 2009 20:20:42 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-06-26</guid>  
      <description><![CDATA[<p>さて。<br />
哲学の勉強って言うと、哲学者の考えを学ぶことが多いのではないでしょうか。<br />
<br />
実は、それは私も難しくって、理解しているとはいえないのです。<br />
デカルトは何をいった人？ニーチェは？ハイデガーは？<br />
聞かれてもちゃんと答えられません（＾＾；<br />
こんなんで哲学専攻と言えるのですかね・・。<br />
<br />
哲学は難しいイメージがある。<br />
私も、難しいと思ってしまう。<br />
<br />
でも、哲学者の考え方を知ること自体が哲学なわけではなく、そこから発展させなければ「哲学する」とはいえないと思う。<br />
知らなくたって、哲学することは出来るんじゃないかな。<br />
<br />
もちろん、いろんな考え方を知っていた方が、より深められるとも思うけど。<br />
「知らないよりは、知っていた方がいい」。<br />
これは、私が昔から思っていたことでもあったりするけれど。<br />
<br />
先人の知恵を学んで、そこから、自分の立場を確立するのかもしれませんが、私は、問題提起をして、それに対して考える方が、わかりやすいです。<br />
単に思考実験的なものが好きなだけかもしれないけど・・。<br />
<br />
本当の哲学は、難しくないはず。<br />
ふとした疑問について考えるところから始まると思う。<br />
堅苦しくて、敬遠しがちなものばかりではないんです。<br />
<br />
私の卒業論文も、教授に軽いタッチだといわれたくらいだけど、わざわざ難解な言葉を使う必要はないと思う。<br />
<br />
読みやすい哲学書がもっとあればいいな、と思う。<br />
そんな読みやすい哲学書を作るなんて、大それたことは言えないけれど（それこそ知識が不十分だから）、哲学＝難しいこと、ではないんだよ、ということが、わかってもらえたらな、と思います。<br />
<br />
※前置きは、ここまで。次回から、さまざまな題材について、語っていこうと思います☆<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>哲学ってなんだろう</title>  
      <link>http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-06-20</link>  
      <category>私の哲学</category>  
      <pubDate>Sat, 20 Jun 2009 21:22:37 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://aki-sophy.blog.so-net.ne.jp/2009-06-20</guid>  
      <description><![CDATA[<p>一応、学生のときは「哲学・思想コース」に所属していました。<br />
でも、大学で哲学を学んでいたといっても、哲学って何？と聞かれても上手く答えられません。<br />
そこでまず、哲学ってなんだろう？というところから考えてみようと思います。<br />
<br />
英語のphilosophyは、ギリシア語に由来し、philo-sophy、知恵を愛する、という語源です。<br />
昔の訳には「愛智学」や「希求学」なんていうのもあったそう。<br />
<br />
そんな名前が表すように、不思議だなと思うことから始まる気がします。<br />
知りたいと思い、そのことについて考える。<br />
普遍の真理を追求するって感じでしょうか。<br />
<br />
古代ギリシアの頃は、今でいう自然科学のような分野も哲学でした。<br />
例えば「世界は何で出来ているのか？」という問題。<br />
「ソフィーの世界」の始めの方にも出てきます。<br />
<br />
全ての学問の土台というか、根本にあるもので、哲学から派生して様々な分野を確立していきました。<br />
だから、全ての学問は哲学を起源にしている、哲学に含まれているといっても、間違いではないと思うのです。<br />
<br />
現在の科学で判明出来ないようなことが、哲学で論じられています。<br />
例えば、存在、時間、善悪、意識、同一性、本質、etc.<br />
答えのないもの。だから、哲学なんて役に立たないって言われるんでしょう。<br />
逆に言うと、議論の余地のあるものともいえます。<br />
答えが出たものが、哲学から分離していっているのではないでしょうか。<br />
そういう意味では残り物かもしれませんね。<br />
<br />
ちょっと別の意味で、人生哲学、なんて言葉も使われますが、その人の価値観、生き方みたいなものですよね。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>あきえもん</author> 
    </item> 
  </channel> 
</rss>

