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    <title>鷹番塾</title>  
    <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/</link>  
    <language>ja</language>  
    <pubDate>Tue, 22 May 2012 14:39:04 +0900</pubDate>  
    <description><![CDATA[とりあえず、はじめましょう。]]></description>  
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    <item> 
      <title>何度でも戻ってみよう</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-05-22</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Tue, 22 May 2012 14:39:04 +0900</pubDate>  
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      <description><![CDATA[<p>昨21日朝、金環日食なる天体ショーを樂しんだ。雲を通して現れた太陽のリングは美しい形だった。太陽は月との距離の400倍あり、大きさも400倍であるという奇跡的な太陽・月・地球の配置が作り出すショーであった。<br />
東日本大震災と同様、大阪・名古屋・東京で観測できたのは千年に一度のことだという。<br />
<br />
何度でも戻ってみよう。東日本大震災は震災と人災の二つの側面があった。<br />
そのうち震災による津波被害に関しては、がれき処理や被災地全体の基盤整備、嵩上げや高台移転、漁業を中心とした産業の回復などの復興の道筋のもとで、3年で鉄道や道路、防潮堤、あるいは5年で嵩上げや高台移転による市街地整備といった一定のタイムスケジュールに従って収斂の姿を現し出すはずだった<br />
。避難生活から生活再建への移行もその時間をめどに組み立てることができた。<br />
<br />
しかし最近、収斂しない可能性もでてきているように感じている。<br />
それは避難生活の長期化に伴い若人たちの移動が進み、限界都市一歩手前の超高齢社会に直面する復興市街地の姿であり、巨費を要する土木事業を伴う復興計画に対する公助の経済的限界のため復興が滞りかねないことが被災地を取り巻く危険性である。<br />
もう一つの側面は、震源だった日本海溝周囲に生じた歪で起こりつつある地震の活発化が不気味さを増しており、東海から東南海、南海にかけての三連動の海溝型地震の可能性が高まっていることにある。さらに富士山の活火山への変貌も懸念され始めているし、首都直下型の活断層による地震の発生も危険性を弱めたわけではない。<br />
今回の大震災による被災への取り組み一つに終わらない、さらに広域化し複雑化する被災の可能性が、今の時代に暗い影を落としている。<br />
<br />
さて人災に関してである。<br />
福島は脱原発という価値観を伴って拡散して、世界を一周して日本に戻る。それはエネルギー問題と危険性との兼ね合いによる。<br />
人々が抱いた放射能汚染による恐怖は、広島・長崎の原爆の被害や第五福竜丸の被爆と無関係ではないし、いまだ進行中のチェルノブイリの悲劇と密接に繋がっている。如何に学者や政治家が安全を語ろうとも、事故後の対応の不備を前に蓄積されてきた彼らに対する不信感はそれを上回る。理屈ではないのだ。それを集団ヒステリー症状と揶揄しようとも、彼らを安心に向けて説得することは難しい。<br />
最大の問題は、1号機では漏水のため格納容器の水位が40ｃｍを切った可能性がある、4号機は燃料プールの崩壊の危険性が指摘されており関東一円に影響を及ぼす大事故を誘発する可能性がぬぐい切れないなど、福島第一原発の事故が収束の気配を見せていないという情報がいまだに流れ続けていることだ。廃炉しか選ぶ道がなかった福島の事故を起こした4つの原発はもう我が国の原発の員数には含まれていないが、我々は福島第一原発１～4号機としか呼ぶすべがない。<br />
<br />
汚染水として原発から直接に、そして河川を経由して間接に海に流れ出、海の生物の連鎖に影響を与え出している海の放射能汚染は太平洋を広く犯す。森林に降る雨にとどまらず、人為による除染行為は、河川の放射能汚染を促し、海に流れ出る。海の上に見える2500万トンともいわれる流出がれきのうち3割程度が漂流がれきとなり、見えない放射能が海を徐々に汚染し、魚を汚染し、太平洋に広がる。<br />
<br />
汚染された地域に戻るには、汚染が減衰する時間と生活の場で放射線量を低下させる除染が必要になる。<br />
中間貯蔵施設もないままに除染するという行為は、汚染物質を除去・移動し、生活の場のそばに捨てるか、除染した汚染水を河川に流す移染にしかならない。<br />
役所が帰村しても、避難していることが経済的に有利になる生活保障が継続する限り、村民は帰村しはしない。人災は進行中である。<br />
<br />
エネルギー問題に対して、先ずは原発の再稼動の選択ではなく、昨年と同様に省エネしか対処の方法はない。拙速な原発再稼働の動きは、せっかく生じつつある討議型民主主義の芽を摘む。安心・安全かそれとも経済かという二項対立的問題設定ではなく、経済優先であった論理を少し横に置き、政治はまず国民の安全を守ることを選択すべきだろう。これをチャンスとして立ち止まり、これから辿る方向を合意すべきということだし、新たな意思決定の仕組みを模索するきっかけとすべきなのだと思う。<br />
<br />
ソ連の崩壊と時期的に一致したバブル崩壊は、戦後奇跡的に生じた我が国の20世紀後半の繁栄にとどめを刺した。それから失われた20年が経ち、持続型社会は遠く、そこで生じた3.11は再度価値観を変え、21世紀に正面から向き合うための転機だったようにも思える。そのことを何度でも反芻する。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>公助は自助をつぶす</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-05-08</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Tue, 08 May 2012 15:29:02 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-05-08</guid>  
      <description><![CDATA[<p>連休の初めに、御殿場に筍掘りに出かけた。例年と同様、美味しいものをたんと頂いた。富士山が大きく、白くきれいだった。連休の後半、近所の碑文谷公園でこどもの日のイベントで模擬店を出した。1日中晴れだった。天候が思わしくなかった連休で、個人的なイベントはたまたま好天に恵まれた。<br />
<br />
こどもの日、日本国内の原発50基がすべて稼働停止した。4月から、福島第一原発の4基は廃炉扱いとなり原発としては数えないとのことだ。再稼動か、それとも脱原発かの議論を前に、現実的に脱原発が始まり、その状態を前提として、議論が進むことになる。<br />
しかし、原発が稼働しようが停止しようが、施設内にある放射性元素の質量は変わらない。停止中の原発であっても、何らかのきっかけで炉内の放射性物質が飛散するリスクはなくなってはいない。廃炉に向かって工程を歩み始めた福島第一原発は再稼働の選択はなくなったが、危険がなくなったわけではない。また停止した浜岡原発が、津波によって破損し、福島第一原発と同様にメルトダウンする可能性もあるから、原発を停止し、脱原発の道を選択しようとも、十分な震災・津波対策を講じておかなくてはならない。<br />
廃炉といっても、稼働を停止すれば済むという話ではなく、廃炉にこぎつけ、核廃棄物を最終的に処分するところまで計画する必要がある。震災復興と絡めて、当面急ぐべきは、放射能で汚染された廃棄物の貯蔵場所・方法の決定である。<br />
<br />
次の日、つくば市や益子・茂木等、筑波山麓で竜巻による被害があった。車が飛び、屋根が飛び、木造家屋が倒壊し、ビルのガラスが砕け散った。コンクリート製の電柱も折れていた。国内では最大級の竜巻だったとのことだ。竜巻被害の映像は、自然災害の厳しさを、東日本大震災の被害を思い出させる。連休中の大雨といい、自然災害の規模は大きくなっている。以前、地球温暖化にその原因があると聞いたことがある。<br />
1年と少し経ち、様々ながれきが太平洋を越え、アメリカ・カナダに漂着し始めている。船の次はオートバイだ。これからも、震災がれきは太平洋を海流に乗って漂流し、来年までに4万トンものがれきが北米沿岸に漂着するという。そして、残りの一部はいずれ日本に戻ってくる。漂流物は見えるが、放射能に汚染された海水も後を追うように海流とともに巡回する。希釈されていくとは言え、いずれ放射能汚染が太平洋を覆う。震災被害は、そのようにゆっくりとではあるが、確実に拡散し、忘れたころに頭をもたげる。<br />
<br />
震災復興への懸念は、計画案が、市街地の高台移転、高い防潮堤＋地盤のかさ上げ、幹線道路によるアクセスなど、全て公助をベースに組み立てられているとしか理解できない情報のためである。その計画を前に、個人は先行して住む場に自前で戻ることはできない。その計画が実現するまで、避難生活を続ける以外どうしようもないのだ。いわば、自助が奪い取られている。<br />
原発被災についても構造は同じであり、救済措置である生活保障が大きければ、地域の放射線量が薄まり、居住制限が解かれ、帰還が認められても、被災地にあえて戻ろうとする意志は働くまい。過度な対応は公助と同じ効果をもたらす。<br />
このままではでは半永久的に復興が達成できない地区が現れるだろう。そんなことを憂いている。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>春の嵐</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-04-09</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Mon, 09 Apr 2012 18:13:58 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-04-09</guid>  
      <description><![CDATA[<p>もう一週間も前のこと、前後に春の嵐があった4月1日の碑文谷公園の桜フェスティバル、天気に恵まれ、3500人は集まったと本部は鼻高々だった。ポニーの引き馬は400人に迫る記録更新、ひっきりなしに動いた起震車、子どもたちが群がった大道芸、消防署の様々な防災企画、煙体験、一日中いてくれた白バイ二台と消防自動車、お客がひっきりなしの模擬店、久し振りの和太鼓、体育館のニュースポーツ、野外のスポーツ、池周りの公園での福祉バザー、花鉢売り、桜は蕾だったが大勢の参加者だった。昨年は中止したが、もう12回目だ。<br />
その後、５日に小石川後楽園の枝垂れ桜に会い、播磨坂と小石川植物園に花見。7日は石神井川、王子から板橋までのまち歩き。残りは、砧公園と登戸の二ヶ領用水の桜だ。<br />
<br />
野田内閣による原発再稼動へのお墨付き、何とも情けないな。再稼動のみを照準にした駆け込み的新安全基準、特にそこに盛り込まれる計画の有り無しでの評価が驚きだった。計画があっても、実際に対応がなければ実効性はないのに、何度も繰り返す危機管理の甘さを露呈する。<br />
形振り構わず、再稼動の道をひた走りに走る姿は、まさに裸の王様である。<br />
福島第一原発に対して、低温冷却状態とのたまい、勝手に安全宣言しても、その後も放射能漏れは続き、事故は収束していない。何が事故の原因であるかも解明されていないし、廃炉の見通しも立っていないし、中間処理施設の計画も、最終処分場の計画もできていない。即ち福島第一原発事故の検証がなされていないのに、勝手にパスすることを前提とした新基準を設け、再稼動へ一歩先に進もうとしている。<br />
彼の何を信じろというのだろう。余りのことに、言葉を失う。<br />
<br />
4月9日、関西電力は大飯原発の再稼動に向けて行程表を提出したとのこと。過酷事故の際対策拠点となる面震事務棟の工事、フィルター付きベント設備は15年度に設置する予定とすることで、再稼動の妥当性の判断が下される。対応が完成する15年度ではなく、今すぐに再稼動が認められる。<br />
保安院、安全委に問題がありと思ってきたが、最大の問題は政治判断と称する内閣と時の与党にあった。枝野通産相が、地元に理解を得に出向くという。理解とは同意ではないと明言した上での地元訪問は、地元への再稼動の通告である。<br />
国の原発再稼動への決断に対して、関係自治体からは反対表明が出され、マスコミから異論が相次いでいる。もう一度頭を冷やして出直して欲しい。<br />
<br />
誰が、どう責任を取れるというのだろう。東電は、原発被災に対して、賠償面で、そして被災地を従前の環境に戻すという面で、責任を取れなかった。人知を超えた原発事故はそれほどに罪深い。それにも拘らず、原発を使えないことを理由に値上げを一方的に通知する東電の態度に、消費者は怒る。<br />
政府もまた責任を負えない。地元の要望どおりの復興計画の場合、それこそ国は破産するだろう。復興の先に何を見据えているのか、分からない。人口減少時代において価値観を変えてゆく必要があるのに、やっていることは旧来のままだ。歳出は必要性の総和だが、それを支える歳入の目途が立たない。<br />
何か狂っている。何も噛み合わない。<br />
<br />
嘗て道路族が闊歩した、公共事業の名を借りた利権を生み出す土建工事が、復興の名のもとで復活する。<br />
折角コンクリートから人へという国が進むべき方向を打ち出したのに、また戻る。事業凍結などという甘い処理の仕方が間違っていた。計画をゼロにする必要があったのだろう。<br />
消費税もそうだが、野田政権に理の一つも見出すことができない。<br />
<br />
大震災の際に海に流出したがれきが、太平洋を漂流し、北米海域に到着し始めており、来年2月までに4万トンが到着するという。その処理をどうするのか、先日カナダ沖に漂着した船は、沈没させざるを得なかった。<br />
広域処理の名のもとで、被災地の震災がれき受け入れが、市町村に踏み絵のように突きつけられた。放射能汚染を免れた西の地域から、政府の甘い基準での判断下では、放射能汚染の拡散だという批判が出、やっと議論が噛み合い出している。<br />
<br />
笑顔のファシズムか。橋下に対して抱く胡散臭さはそこにありそうだ。震災ゴミの受け入れ、脱原発というのも、彼の場合、大衆迎合的なパフォーマンスによる。権力の頂点に立つや、自分の思考を押し付け、魔女狩り紛いのことをし、多様性を認めようとしない彼を、評価することはできない。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>今年の桜は遅い</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-03-28</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Wed, 28 Mar 2012 17:49:05 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-03-28</guid>  
      <description><![CDATA[<p>今年の桜は遅い。昨日小石川後楽園に行ったが、例年であれば満開を過ぎた頃なのに、枝垂桜は未だ蕾を硬くしており、梅が残っていた。<br />
今度の日曜日、碑文谷公園で第12回桜フェスティバルを開催するが、桜は望み薄である。去年、大震災があり、フェスティバルを自粛し、今年こそ2年分をと意気込んでいたが、桜は蕾のまま、残念に終わりそうだ。<br />
<br />
大災害は、それまでの矛盾を顕在化する。或いは、現代の問題を総ざらいにすると言われる。それでは今日の問題とは何だろう。<br />
東日本大震災が起きたとき、少子高齢化と同時並行する人口減少、2人を切った東京の世帯人口、失われた20年間の間に定着した右肩下がりの縮減する経済、就職氷河期の継続、円高・グローバル化による空洞化の促進、利益優先の結果の非正社員の増大、敗者を自己責任に帰す貧困社会、富が偏在する格差社会、情報社会の進展による価値観など様々な分野での断絶、税収の倍の歳出、ＧＤＰの倍という膨大な財政赤字、団塊の世代の退職、人口構成の変化から破綻寸前の年金制度や健康保険制度、福祉名目の増税の必要性、日本型雇用や日本型福祉社会の崩壊など戦後システムの終焉、政権交代後も続くねじれ国会、期待外れの民主党政治、政治不信の増大と民主主義の変容、遅々たる地方分権の動きなどが問題だった。<br />
それらは、震災後も継続したもので、何も顕在化したわけではない。復興は、このような問題をもつ社会の中で進められる。<br />
<br />
大震災後、原発事故に象徴的に現れたが、国は情報隠蔽体質を露にし、縦割りの官僚システムが回復し、政治よりも行政が主導する日本型民主主義が戻ってきた。<br />
また事業仕分けで槍玉に挙げられ、一時は無駄とされた公共事業が復興の名を借りて戻ってきた。<br />
そして、戦前・戦中を支配した無責任体制がよみがえってきた。<br />
改革の名のもとで一時力をそがれた戦後の仕組みの一部、官僚主義が復活し、大きな政府が戻ってきた。<br />
<br />
ただこの一年での変化は、悪い面だけではない。<br />
情報社会の進展と、若い人たちのボランティアの活動、ネット社会の構築を背景にした新たな動き、例えば広域被災に対応した全国に情報を張り巡らせた被災地での救援体制、ＮＰＯの活躍、国会議事堂を取り巻いた都内での脱原発集会など、目を見張るものがある。<br />
<br />
これからの復興はどうなるのだろう。<br />
<br />
地震・津波によって原発が事故を起こし、放射能汚染を撒き散らした。その高濃度汚染を低減させる方策はなく、時間に委ねるだけだ。当初、事故の厳しさを隠し、多くの住民を被曝させた政府に対する不信は大きい。<br />
被災地のなかでも、復興の目途が立つ三陸地域及び宮城の平地地域と、帰村できず復興できない原発事故の汚染地域とは、分けて考えないとなるまい。<br />
汚染地域にあっても、心配が残る居住可能地域の扱いが当面最も問題である。被災に伴う補償金が、働いた場合よりも多ければ、働こうとするインセンティブはなくなることも、新たに生じた問題である。<br />
復興バブルとささやかれている東北は、公共投資の対象として救世主になるのか、それとも人手不足を理由にした高い買い物になるのか。<br />
<br />
原発事故の結果、日本の中で非居住地が生まれた。永続的居住放棄地が生まれた。廃炉まで半世紀はかかりそうだ。福島県を中心とした農業生産物だけでなく、近海の魚介類も危うい。風評被害は情報隠蔽から生まれた。三陸や宮城の平地部は徐々に回復するが、福島での農林漁業はいつ復活するのだろう。産業の復活なくして帰村は覚束ない。<br />
<br />
福島第一原発、第2号機で60ｃｍしか水がたまっていなかったという報道あり。予想は水深3ｍだった。膨大な汚染水が、地下に漏れ、海に流れ出てゆく現実を突きつけられる。そんな状況にもかかわらず、現政権は原発再稼動に着々と準備を怠らない。<br />
福島の事故が未だ分析されていないというのに、安全であるという答を導き出すための条件を入れて算定するという昔からの方法で評価し、大飯原発の再稼動にゴーサインを送った保安院、安全委員会、彼らはどこを向いているのだろう。<br />
首相野田は「想定外を想定する」という。今、想定外なのは原発の再稼動だ。<br />
<br />
ジャブジャブの無駄遣いと言っていた公共投資の復活、高台移転、巨大な防潮堤、地盤の嵩上げによる市街地造成など、それによっていわゆる土建屋が復権する。それは財政赤字を膨らませてきた一因だった。年1兆円を簡単に超す復興事業がもたらす復興バブルはそのような予感をさせる。<br />
被災者にとって土地をどうするかが最大の問題だが、事業者にとっては簡単なルーチンワーク、例えば評価基準のない除染を手始めに儲かればよい。<br />
国が采配を取る復興は、地域のことよりも、全国の事情を優先する。<br />
<br />
がれき処理は遅々として進まず、放射能がれきは中間貯蔵施設の場所さえ未定である。がれき処理プラントの候補地ががれきで埋まっており、復興の遅れにつながるといるというが、そこに人は住んでいない。何故、踏み絵的な方法で広域処理を進めようとするのか。そこに胡散臭さを感じる。<br />
折角の地方自治を実験するチャンスを、国が潰していく。<br />
<br />
投資顧問会社ＡＩＪ社長のとんでもない詐欺行為が明らかになった。企業年金1458億円の消失を淡々と述べ、新たな基金の契約を返済や自分への年7000万円の報酬に当てたことを悪びれずに口に出す。もとカリスマの証券マンだったという。預かった金の運用は自分の権利であり、そこで損をしても許されるはずだという発想は、狂っているとしか思えない。<br />
原発被災者に対する補償金の算定もさることながら、今回明らかになった東電の詐欺紛いの値上げ交渉、現在の電力供給の仕組みを維持するのが義務であり、原発が再稼動するまで電気料金を値上げするのは権利である、そして値上げに応じなければ電気の供給を停止するとした態度は、腹立たしさを越していた。原発事故に対する責任や、元の環境条件に戻すことを少しも考えていない彼らも狂っている。<br />
そして消費税問題で揺れる政権は、まさに政治の空転としか言いようがない。財政立て直しには歳出削減を先行すべきはずが、震災復興を理由に、社会資本への投資の重要性に立ち戻り、外環道や八つ場ダムなどを復活させる等、大盤振る舞いしてしまった。<br />
何か、日本が抱える問題が、一回り大きくなってしまった。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>復興事業・脱原発・次世代のことなど</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-03-16</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Fri, 16 Mar 2012 11:27:44 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-03-16</guid>  
      <description><![CDATA[<p>3.11日比谷公園の脱原発集会に行った。主催者発表3万人という。様々な催しがなされていた。<br />
黙祷の後、東電前を通るデモ・主催者発表1万人に加わったが、途中で疲れ、5時にリタイアした。国会を囲む人の鎖には参加しなかった。国会を囲む蝋燭を持った人々の風景を見なかったのは少し残念だが、昔から私はそうだった。現場を見ていないで今まで来てしまったのだ。今はネットでその様子を把握することができる。<br />
考えてみれば、国会周囲のデモで国会を包囲したのは60年安保の時以来だから、半世紀ぶりということになる。今の若い人たちは、あっさりとハードルを超える。<br />
<br />
震度7ともいわれる直下型地震、東海・東南海・南海の三連動地震が口の端にのぼっている折、大きな地震にびくっとする。大震災後1年経っても、余震なのだろうか。<br />
<br />
国土交通省の「復興まちづくり情報ＩＮＤＥＸ」を見る。嘗てあった何でもありの世界の再来が垣間見られる。<br />
嵩上げや高台移転、防波堤など、自助努力では対応できない土建による土木事業が、復興の姿に形を変えて、被災地でまかり通る。併せて地域の幹線道路整備、港湾整備など、まさに焼け太りである。公共事業に対して低くなったハードルが、八つ場ダムや外環道整備の事業に結びつく。<br />
この時代に、地元にではなく、中央に金が回収される土建業のバブルが必要なのだろうか。<br />
<br />
被曝量の許容値がまちまちで、除染に対する方針が揺れ動き、着地が見えないが、除染事業に対してもスーパーゼネコンが手を上げる。<br />
高濃度に汚染された地域で戻ることができるのは何年後なのだろう。仮に20年だとすると、高齢者にとっては残る一生分である。若い人たちに待てということは誰にも言えない。たとえ行政が帰村を決めたとしても、不安にさいなまれている住民は戻るのだろうか。<br />
<br />
廃棄物に対して、kg当たり6000ベクレルまで許容するとした国の基準に対して、地方の基準は50～100ベクレルという開きも徐々に明らかになってきた。西日本での放射能拡散反対の意見も少しずつ紹介されるようになってきた。<br />
それに対して、瓦礫を受け入れない地方たたきが、マスコミを通じてあからさまになってきている。国は、瓦礫処理の遅れが恰も地域外での受け入れが進んでいないせいと印象付けたいのだろう。被災瓦礫の地域外処理も金でつる。<br />
復興の道全てが金をばら撒く国に握られていく。<br />
<br />
放射能汚染されていないという証明書つきの瓦礫すら受け入れ手がいないのに、まして放射能汚染されている土や廃棄物を30年貯蔵する中間貯蔵施設を受け入れることを、住民を含めて同意することはどこでもできないだろう。<br />
4号炉の燃料プールが危険で、仮に崩壊したら日本は終わりだというメールが届く。廃炉を決定しても、実際に廃炉に至るまでに半世紀かかる。それまでに大事故が発生する可能性もあるし、最終処分施設を準備しておく必要がある。<br />
そうか、首都直下型の地震、或いは東海地震がなくとも、このまま終焉していくのだなと突然に口のそばまで言葉が出てくる。<br />
<br />
価値観が急激に変化しているし、社会行動も大きく変わっている。変化はいつ頃からだろうか。<br />
バブル崩壊後の20年の空白期の間に徐々に進んだのだろうか。リーマンショックがあり、民主党が政権をとった頃からかな。小泉・竹中コンビが持ち込んだ新自由主義の浸透により、格差社会が急激に進行したせいかもしれない。価値観の変化は、政治に対する不信の増大も原因の一つだろうし、情報社会の到来ゆえだろう。<br />
東日本大震災の中でも、特に原発事故で破綻した安全神話、国策の正当性、余りに自分勝手だった想定、それらが過去からの流れの継続に止めを刺したように思う。<br />
そして、ツイッターやブログの活用などによる震災被害情報の拡散や救援の組織化、脱原発集会の呼び掛けまで至った状況は、明らかに次の世代の台頭を感じさせた。<br />
<br />
女川町の2,3階建てのベランダ付の多層コンテナ仮設住宅、釜石、南三陸町、志津川、気仙沼、大船渡、石巻などでの仮設商店街など、コミュニティを考えた計画があった。住田町の木造仮設住宅、陸前高田の緩やかな配置計画で建てられた木造仮設住宅群など、新たな試みがなされたことも、心を和ませる情報だった。<br />
変わっていくのは、個々の現場からなのだろうな。<br />
<br />
こんなことを書いていた時、吉本隆明の訃報が飛び込んできた。<br />
世代が交代していく。<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>早くも3月</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-03-05</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Mon, 05 Mar 2012 17:09:36 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-03-05</guid>  
      <description><![CDATA[<p>寒い年だ。今年の梅は、例年より一ヶ月も遅い。<br />
2月23日時点で、避難者数は343,935人だという。その内放射能汚染にさらされている福島県は被災地として同列に扱うべきかどうか難しいところだが、避難指示区域からの避難者数11.4万人、福島県全体の避難者数15.8万人（内福島県外6.2万人）という。<br />
<br />
岩手、宮城両県で2000万トン、全体で、被災地域で処理される10年分相当以上（岩手で11年分、宮城で19年分）の廃棄物発生量といわれる、大震災によって生じた瓦礫の処理が当面大きな課題になってきている。<br />
被災後一年経って、瓦礫処分は、全体の5％に過ぎないという。政府が目標とする2014年3月末までの処分完了は、難しいだろう。<br />
遅れている原因は何かが気になる。その理由の一つに、20％分は広域処理を必要としているものの、瓦礫の引き受け手が東京など限定的なことにあるといわれている。<br />
放射能汚染されていない瓦礫であっても、東北というだけで受け入れ先の住民が不信の目でみる。これも福島の放射能が原因であり、被災地外の人々の拒否反応によって惹き起こされている。私には過剰反応と見受けられた、大文字焼きのときの被災地の松の受け入れ拒否、仙台の花火の拒否、沖縄での青森の雪の受け入れ拒否などを思い出す。また福島からの避難民が、苛めにあっているというニュースもあった。<br />
これら全てを風評被害というべきかどうか迷う。<br />
<br />
兎に角、安全の基準が一体何なのかが見えてこない。低線量被曝としても、食などを通じた内部被曝が何を生じさせるのか。<br />
除染補助の基準は１～20ミリシーベルトの地域を対象にするとしたことから、１ミリシーベルトが安全基準だと思っていたが、帰村の基準とした20ミリシーベルトは安心できるレベルなのかどうか不明だ。2月末、国が除染費用の負担をする重点地域は、追加被ばく線量が5ミリシーベルト以上とされた。1～5ミリシーベルトの地域は、市町村の負担になるが、膨大な範囲である。<br />
いつの間にか、放射能汚染に対する東電の責任はどこかにいってしまった。<br />
しかし、この入り乱れた基準は何から来ているのだろうか。帰村したとしても、除染の効果が分からない。雨が降り、周囲の森から流れ出れば、元の木阿弥ではないか。誰も、確定的なことは語ることができない。<br />
<br />
海洋汚染が広がってきているようだ。東京湾の原発事故由来のセシウム濃度が上昇しているという。<br />
陸上に降り注いだ分が廃棄物になって生活を脅かす。下水処理場やごみ焼却所は放射能汚染され保管せざるを得ない廃棄物によって遠からず満杯になる。汚染された処理汚泥は、リサイクルできない。汚染土は仮置きされたまま放置されている。<br />
福島を中心に、広域で放射性廃棄物の中間貯蔵施設を必要としているが、候補地を決めるには周辺住民の合意を得る必要が出てくる。これも暗礁に乗り上げそうだ。<br />
<br />
三陸復興で公園再編として、青森県八戸市から宮城県石巻市までの自然公園を三陸復興国立公園として指定する予定だというニュースがあった。<br />
国立公園だと、様々な規制がかかることになるが、自然保護や文化体験の場として位置づけることができる。人口減少が更に進み、限界地域になる可能性がある50年後のことを考えると、消失集落が順次公園になっていく物語を描くことができる。100年後は、沿岸部は自然が勝る公園となる。そこに、海の眺望を阻害する大きな防潮堤は似合わない。<br />
近視眼的な、規制緩和である特区などによる開発より数段将来を見ようとしている。<br />
<br />
時事ドットコムで、集団移転、住民合意は2割、高台や内陸に集団移転を予定している地区数は244で、住民合意された地区は47であるという。岩手は41地区のうち23地区、宮城は154地区のうち21地区、福島は49地区のうち3地区である。災害公営住宅の計画戸数は11,029で、仮設住宅入居2年間を迎える13年8月末の完成戸数は662と報道された。<br />
帰村はいかにして可能なのだろう。復興への第一歩である恒久住宅への帰還は、どのくらいかかるのだろう。<br />
<br />
今年の311には、Peace on Earthの集会に出ようかなと考えている。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>帰村と50年後のことなど</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-02-18</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Sat, 18 Feb 2012 16:36:21 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-02-18</guid>  
      <description><![CDATA[<p>復興は人の手による。復興に関わる失敗、例えば復興の遅れにとどまらず、住民の合意のない計画、採算の取れない施設計画、地域医療の不備、地場産業の喪失などは、原因が何であろうと、人災である。<br />
特に問題となる復興自体の遅れは、福島では原発事故の後遺症、他の地域では復興計画の合意の遅れ、瓦礫の処理の難しさ、産業の空洞化による働き口の減少などに起因する。瓦礫処理は被災地にあって自前では不可能であるが、救いの手を伸ばすべき多くの市町村が、放射能汚染を忌避する住民の反対により受け入れができない状況にある。その報道は、この夏の京都の大文字焼きを思い出させる。この遅れによって、地元に戻る目途が立たない事態として被災者に圧し掛かり、徐々に戻らないことの選択を増やしていき、被災地の将来の可能性が狭められていく。どのくらいの時間なら我慢ができるのだろう。<br />
長期化する避難生活は、非日常ではなく、日常に変わる。出来上がった地区から、移転可能者が五月雨式に戻り、復興が進んでいく可能性が増している。しかし、仕事場と生活、商店と住宅が一体的に復帰しなければ、元の地域での生活はうまく回転していかない。<br />
<br />
復興計画において不可欠である50年後の被災地の姿を想定してみよう。<br />
千年に一度の災害に対応する計画は、膨大な事業予算を投じる国の意向を反映させるために、上意下達の意思決定が必要であり、人々の営みを通した自然形成的な形を持たない。<br />
このままでは、50年後、海と陸は高い堤防によって切り離され、美しい三陸海岸を楽しみに来ていた観光客が来なくなる。復興に時間がかかり、若い人たちが戻ることを選ばなかった被災地では、人口が激減し、小集落は廃村となり、市街地であっても高齢者だけが住む限界集落が、高台のあちこちに分布し、静かに消失を待っている。福島では、高濃度に汚染された放射線量が期待ほどに下がらず、半減期を過ぎても、ついに戻ることができなかった地域があった。その地域はそのまま放置され、畑は森になった。汚染水が流され続けたため、福島の漁業は、未だに制約を受けている。第一原発は廃炉一歩手前に漕ぎ着けたが、そのままの状態で放置され、最終処分場扱いとなった。放射能に汚染された物・汚染土もどこにも持っていけずに、集約された中間貯蔵施設は、最終処分場に変わっていく。<br />
経済が下降線を描き続け、貧困問題が格差社会の進行のもとで顕わになり、人口減少が始まったときに襲った大震災である。このような悪夢を避けるにはどうしたらよいのだろう。日常の生業を大切にした復興計画ができて欲しい。<br />
<br />
膨大な復興財源の投入により、復興バブルともいえる現象が土建業において始まっているという。受注した巨額の事業を下請けに出し、その上前をはね、利益を吸い上げるのは、元請になるスーパーゼネコン各社だ。<br />
被災地で先行する公共投資が、何年かかるか、そしてどの程度の予算がかかるか分からない、何も生産しない除染の作業である。目標値も設定できない、放射線量を下げるだけの除染事業を果たして復興事業というのだろうか。除染といっても、放射線物質を他に移動させるという方法で、除染作業を行った地点の放射線量を低減するに過ぎない。水によって除染すれば、その水が流れていく先の河川であり、海が汚染されていく。草木を切り取れば、その捨て場の汚染度が高くなる。そして雨が降れば、山林から汚染された葉や土が流れてきて、放射線量を上げる。<br />
<br />
この除染事業を公共事業に位置づける件が象徴しているのが、一つは東日本大震災における人災の大きさと、原因者である福島第一原発・東電の責任範囲の曖昧さが招く公共部門への責任転換である。そのため、現在、除染活動もせず、対応に誠実さが見えない東電による電気料金の値上げが問題視されている。それは、公務員・議員の痛みを避けて増税議論をする現政権と同じ、不信を増大させる構図である。<br />
もう一つが、復興を通じての財源の地元への還元の少なさである。大盤振る舞いされる復興事業の主体は、多くは東京に本社を置く企業である。地元は良くて下請けで、通常は労務提供者になる。復興に投じられる費用は、地元で回転していかないのだ。地元住民は復興主体から降ろされ、計画への参加を認められないまま、黙って復興を見守る。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>店仕舞の計画のイメージ</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-02-08</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Wed, 08 Feb 2012 17:32:35 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-02-08</guid>  
      <description><![CDATA[<p>経済のピークは過ぎ、人口が減少し続け、高齢化が更に進む、今流行りの言葉で表現すれば、下山の時代である。都市の計画においても、そろそろ身支度し、地方都市を畳む準備に入る店仕舞の時期に来ている。<br />
ＥＵ危機と比較して、最近よく指摘されているように、ＧＤＰの二倍に匹敵する債務残高は厳しく圧し掛かっており、経済の成長期に作り出されてきた日本のルールは破綻寸前である。それは官僚依存型の中央集権的な仕組み、人口ピラミッドを前提とした社会福祉などであるが、何よりも経済の拡大を前提とした物指しの元での将来像である。そして21世紀初頭、新自由主義の下で加えられた格差社会への変貌があった。その影響は過疎地域に位置づけられる被災地域で大きく現れる。<br />
<br />
そのせいか、一段の超高齢化・人口減少が進む東日本の被災地において、高台移転、或いは地盤の嵩上げなどに象徴される、巨費を投じて、復興市街地を造る計画のありように、違和感が付きまとう。<br />
確かに安全は何よりも増して優先される。しかし、いつまで日本は、財政破綻を回避しつつ、巨額な公共投資を続けることができるのだろう。また、それらの工事を請け負うのは、地域の事業者ではない。言い換えれば、地元の懐に入らない公助が復興の姿である。<br />
復興は、それぞれの被災者が果たす課題であって、市街地の整備等はその条件作りであり、目的ではない。<br />
<br />
人口減少を前にして、下山してゆくに際して心掛けるべき、地方都市を畳む準備、都市の縮退に対応できる計画とは、例えば、下地を公園計画とし、その上に市街地を描くことが考えられる。住宅の底地は公園用地、公有地である。そうすれば、市街地が縮退していくに従って、非居住になった住宅が少しずつ公園になってゆく。選択的に移動できれば、住宅の集合地区をその都度作り出せる。<br />
そのようにして限界市街地の状況を先延ばしにすることができる。最終的に市街地が消失したとき、全てが公園に変わる。そして。公園の管理が難しくなったとき、自然の風景に変わっていく。<br />
<br />
従って、硬い建物は避け、処分が簡単な木造建築であることが優位になる。過疎地域での計画の理念は、近代の人工が優位だった歴史から離れ、自然に戻るための準備なのだと言えないだろうか。<br />
<br />
比較的近いのは、田園都市＝ガーデン・シティのイメージなのかもしれない。ウィキペディアによれば、「ハワードの提案は、人口3万人程度の限定された規模の、自然と共生し、自律した職住近接型の緑豊かな都市を都市周辺に建設しようとする構想である。そこでは住宅には庭があり、近くに公園や森もあり、周囲は農地に取り囲まれている。不動産は賃貸し、不動産賃貸料で建設資金を償還するので、都市発展による地価上昇利益が土地所有者によって私有化されず、町全体のために役立てられる。」<br />
<br />
或いは、低層の共同住宅が分散的に配置されるような別荘地の計画と考えたらどうだろう。これならばアクセス道路と都市インフラ、そして最小限の土地の整地でよく、安く付き、地方の力でも対応が可能だろう。必要に応じて、自助の部分を盛り込んでも良い。将来、居住者を失った別荘は、そのまま朽ち、森に戻ってゆく。<br />
<br />
今まで、市街地や集落の縮退に伴って生じる放棄地が、打ち捨てられてきた。そこは市街地のごみためになっている。処分ができないのは、私有財産であり、処分の応諾が必要になるためだ。<br />
だから、森に還ることを念頭においた復興市街地は公有地の借地という形式にする。地上権は、土地の利用権で年々更新とし、引き払うときは更地状態とする。<br />
<br />
ここ数年の不況の結果、工事請負会社の絶対数が減少していること、工事量が多すぎて（労務者一人当たり7倍の需要量）、労働者の確保ができないこと、需給バランスが崩れ、人件費が高騰していることなどの理由から、復興事業の落札率が下がっているとのことだ。<br />
工事費の高騰は、復興事業だけでなく、民間の家屋の新築に対してもダメージを与えるだろう。復興事業は、思いのほか費用、時間がかかりそうだ。<br />
<br />
これから膨大な労務者を必要とする除染事業が始まるが、大手のスーパーゼネコンが名乗りを上げている。除染事業は、巨額を必要とするが、原発事故がなければ生じなかった、それ自体、何の生産にも寄与しない空しい作業である。<br />
低線量被曝に対する評価は揺れ動いている。一度行政不信に陥った被災者の信を得るのは容易ではない。従前の状態に戻るには、数十年を必要とする。それまで待てる人は少ない。どの程度の水準になれば、住民が納得した上での帰村宣言になるのだろう。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>小さな物語と店仕舞の準備</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Wed, 01 Feb 2012 16:31:39 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01</guid>  
      <description><![CDATA[<p>先週行った熱海梅園は早咲きの梅一分咲きだった。今年は、本当に寒い。春の気配がしない。豪雪でもある。地震の影響があった長野県栄村では雪のために橋が折れた。<br />
<br />
そろそろ震災から1年に近くなる。孫は発災四日前の3月7日に生まれた。未だ病院の中で大きな揺れを経験したはずだ。その二日後に、精神を病んで冬の間入院していた私が退院した。その二日後に襲った大きな揺れは、自宅で経験した。すぐ外に出たが、家が悲鳴を上げ、電柱がきしみ、電線が大きく揺れていた。長い間、地面が揺れていた。<br />
<br />
そして、凄まじい、悲しい映像が何日もの間続いた。巨大津波によって沿岸の市街地や集落は壊滅し、2万人もの方が犠牲になった。引き潮でビルも倒壊した。田老では高さ10ｍの二重の堤防が破壊された。港では、大きな船が内陸まで運び込まれ、自動車が海中に放り出された。大きな火災もあった。土盛りした地域では、液状化によって、地盤が壊れ、ライフラインがやられた。地盤沈下した港では、今もなお水を被り続ける。<br />
<br />
福島第一原発のメルトダウン、放射能汚染もその震災の中のヒトコマであった。理不尽であるが、水俣でチッソが生き残ったように、福島で東電が生き残るのだ。政府も東電も、保安委も、原発事故の様々な関係者も、平然と生き残る。<br />
<br />
今まで、多くの人の3.11がネット上に掲載されてきた。阪神大震災のときとの最大の違いは、様々に流れた民間の情報だろう。広域に対する救援は、この時代だから可能だった。マスメディアにより流された「頑張ろう東北」「頑張ろう福島」の標語は、被災者を一緒くたにし、少数の意見の違いを消し去ってしまった。1年近くたっても、瓦礫はうずたかく被災地に積まれている。復興計画ができたという情報が流れても、被災地では、整地一つ始まらず、家一軒も新築されようとしていない。<br />
<br />
33万人を超す方が、避難先で年を越した。今年は、21世紀に入り最も寒く、豪雪の冬だ。厳冬の中、避難住民は戻る算段もできていない。<br />
大震災を、様々に生じた小さな物語の総和として見、それぞれの物語を語り、耳を傾けることが大切になっている。<br />
小さな物語、店仕舞の準備、この二つの言葉が、私にとって今の状況に対する切り口になりつつある。<br />
<br />
世紀末から世紀初頭、ベルリンの壁崩壊後の混沌、バブル崩壊後の失われた20年、情報革命、グローバリゼーション、新自由主義の台頭、リーマンショック、超高齢下の人口減少時代、1千兆円になる膨大な財政赤字、政権交代への期待と失望、格差社会の深刻化、ＢＲＩＣＳの台頭とアラブの春等、今まで現在に焦点を当てる際、大情況から語ってきた。そのアプローチの仕方が何となく状況説明をしていると感じていたからだ。<br />
<br />
しかし、3.11は、大状況でなく、巨大津波を伴った大震災と原発事故による複合災害から始まる。被災は、日常の生活と同じように、百人百様である。大震災後、今日の諸状況が意味を持ち出すのは、復興という文字を重ね合わせたときだ。小さな場面を見ている限り、余りに被災地の条件は異なり、全体像には至らない。自助を考えていっても、高台への移転や地盤の嵩上げには至らない。被災は個別に生じたのに、国の意向を反映した上から目線で作られた復興計画は個別事情を横に置く。そこに大きな分断がある。<br />
<br />
復興計画を考えようとしても、人口減少に伴う都市・集落の縮退が最大のテーマになり、原発にとどまらず、どのように店仕舞をしていくかが頭の中を占めていく。今まで、創ること、或いは保持することを課題として都市やまちの計画を考えてきた。だから縮退する市街地の具体像を計画として提示することが難しい。都市の維持管理費は投資規模に比例する。限界都市になることが分かっているのに、何故、莫大な予算を講じて復興させようとするのか。何故、人々の手が届く規模の計画では駄目なのか。<br />
<br />
政府が除染の行程表を如何に作っても、元の状態に戻るとは誰も思っていない。放射能汚染された地域では、マイナス分を埋める復旧すら数年から数十年かかる。農地での生産活動は、高濃度汚染地域では禁止される。その間に、過去営々と生業を続け、更新し続けてきた美しい飯館の農の風景は潰える。農の風景が持続可能性を表現していたことに気づく。そんなとき、唐突に聞こえた川内村の帰村宣言は、住民の不安にどうやって答え、生活の糧である職をどのように確保していくのだろう。<br />
<br />
限界集落で見つめるべきは、そこで残り、消失まで生き延びていく人たちなのだろう。その人たちのための居場所づくりが、農・漁村の復興のテーマである。立派でメインテナンスが高くつくような都市づくりではない。<br />
阪神大震災後、共助の重要性が説かれ、ＮＰＯ法ができ、地方分権法ができた。都市計画では、マスタープランが盛り込まれ、住民による提案制度ができた。<br />
公助が優先された東日本大震災後、脱原発への舵を取らざるを得ず、エネルギーに対する考え方は変わるだろうが、何か新たなものが生まれるのだろう。<br />
私は、じっとしているだけだ。何もできずにじっとしている。<br />
<br />
除染を条件とした帰村宣言、記されなかった議事録、復興バブルの負の連鎖、揺れ動く低線量被曝の基準、原発40年稼動の認定、欺瞞的な冷温停止宣言……。<br />
八つ場ダムの事業凍結を声高に主張した前原、沖縄の基地問題の難しさを引きずり出した鳩山、浜岡原発を停止させ、脱原発を口にした菅、いずれもこれまでの政治決定に対するアンチテーゼの提示であったが、いずれも覆されるか、尻すぼみになった。反小沢とも言うべき消費税率アップを掲げた野田政権は、自公政治の踏襲に舵をとった。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>阪神大震災から17年</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-01-17</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Tue, 17 Jan 2012 15:55:03 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-01-17</guid>  
      <description><![CDATA[<p>阪神淡路大震災から17年、早いものだ。いずれの時代も大きな閉塞感が漂っているが、20世紀末の当時と、21世紀初頭に近く起こった東日本大震災後の今、何が違うのだろうか。<br />
<br />
震災の象徴的な風景は、阪神淡路では阪神高速道路やビルの倒壊と密集した市街地の火災であった。<br />
南北500ｋｍに及ぶ被災を生じた東日本では津波によって陸地深く運ばれた船であり、破壊された堤防であり、流された沿岸の市街地であった。液状化も深刻だった。そしてそれに長く尾を引く、現在進行形の福島原発の爆発事故が加わった。<br />
<br />
阪神淡路の際は、都市災害であり、元住んでいた場に戻る上での復旧は当然であり、その先の復興の姿が現代都市の中で、右肩上がりの発想のもとで語られていた。<br />
東日本にあっては、沿岸部の漁業・農業の被災が主であり、復旧の議論よりも例えば高台の新たな土地のもとでの復興が取り上げられ、人口減少下の限界都市の想定もしながら減災の姿を描く必要が生じている。そして、福島原発の周囲では放射能の影響で居住することができない広大な地域を抱えている。東日本では、元に戻ることは必ずしも答えではないのだ。<br />
<br />
社会不安を反映したオウム問題も同時に生じた17年前、バブル崩壊の爪あとが残り、日本で失われた10年の不況期に突入していた。世界では、90年前後のソ連・東欧崩壊、ベルリンの壁が終焉し、ＥＵ統合が準備され、地球環境問題がグローバルな課題であった。<br />
今日は新自由主義下で生じた、サブプライム問題、リーマンショック後の世界同時不況が進行し、ＥＵ危機が叫ばれている。グローバル経済は現在の方が遥かに厳しく、アメリカ一極の構造が失われつつある。中国がＧＤＰ2位の地位を日本から奪い、ＩＴ革命を背景にしたアラブの春が伝えられ、地球温暖化も深刻化している。日本では、平成不況から脱することができず、人口減少時代が始まり、格差社会が進行し、就職氷河期の終わりが見えない。<br />
<br />
戦後50年目であり、不況とはいえ、平等幻想が未だ多少残っていた、経済が世界二位であった17年前に比べて、50年前の昭和30年代の高度成長期が懐かしさをもって語られ、格差社会のもとで貧困層が切り捨てられ、中国に経済規模に引けをとることになった今日、未来に向けた夢が語られることが少なくなったように感じる。<br />
それは、様々なことをやり残していた50歳のときと、高齢者の仲間入りをし、人に馴染むことを難しくしている私自身の比較のせいだけではないだろう。<br />
超高齢化し、人口減少する時代、時代も成熟期を経て縮退期へ、拡大した都市や街をしまう時代への移行において、活性化といった右肩上がりの発想から脱し、一歩一歩階段を下りてゆくにはどうしたらよいのかという今まで真剣に問うことをしなかった課題に向き合うことになったようだ。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>繰り返す思い</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-01-11</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Wed, 11 Jan 2012 14:41:36 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-01-11</guid>  
      <description><![CDATA[<p>被災地域の復興計画が続々と作られている。<br />
3.11に襲った津波被害から将来の生活を守るため、背後の山を造成する高台の整備、巨大な防潮堤、地盤の嵩上げ、移転先の土地区画整理事業、高規格な三陸縦断道路など、巨費を伴う土木事業が採択された復興計画に膨大な予算がつく。<br />
もっと地道な計画もあるのだろうが、ニュース価値が高いのは、そのような常時には絵空事として振り向きもされなかったはずの巨大事業である。<br />
<br />
来年度予算において、コンクリートから人への旗印の下、一度止まったはずの八つ場ダム、外環、整備新幹線の事業予算も盛り込まれ、税収に倍する予算額が計上された。<br />
公務員の給与のカット、議員定数の削減もないまま、必要な事業を上乗せしていけば、間違いなく膨大な歳出超に陥る。そして、少子化や積立金の目減りにより、現役世代が高齢者を支える年金制度も危機に陥ると指摘されている。<br />
財務省が画策する消費税アップは、野田内閣以外の皆がしり込みし、潰える可能性がないとも言えない。政策の基本が歳入の将来への先送りだった。ＧＤＰの倍を超える国の債務、日本は危機的な財政難ではなかったのかと、予算を見ていて嘆息する。このような選挙時のマニフェスト無視は、民主党三代目の野田内閣における官僚政治の復活のせいだとの評論も多く聞こえる。<br />
<br />
過疎地の多くの集落が消失してゆく可能性をもつ人口減少の時代、個人は勿論、地方でも賄えない、国の投資に全てを委ねる復興計画は個人的には疑問符をつけざるを得ない。<br />
千年後の三陸の姿が語られて初めて、千年に一度の災害に対応する具体の対策が議論されるはずなのに、千年に一度の災害に対する対策規模だけが所与の条件となる。<br />
居住の基盤が如何に整えられても、残念ながら、漁業以外の産業に乏しい三陸の多くの集落は、少子高齢が極度に進み、50年の間に限界集落になり、消失する集落も出てくることだろう。被災地の復興は、高齢化が進み、空き室が増え、建て替えが困難となった初期ニュータウンと同様の課題を抱えることになる。復興に時間がかかれば、若い人たちは去っていく。<br />
自立のためには自力復興しかないではないか、人の手の届く計画を目指す必要があると今更ながら思う。民主党政権になり、事業仕分けが注目されたが、費用対効果が問われない復興事業計画や大型事業の復活を見ると、あれは単なるパフォーマンスに過ぎなかったのかと思う。<br />
復興の理念に、今日の経済の動態を背景にした枠組みの議論があってしかるべきだが、今まで聞こえてきた計画には必要な事業の積み上げのみが語られていた。<br />
コミュニティが確保された質の良い仮設住宅であれば、そのまま公営の賃貸住宅にしてもよいのだ。そうすれば、自分たちの力でまちづくりを引き継ぐことができるだろうに・・。<br />
<br />
そのなかでも何故か、復興ではなく、復旧すら覚束ない放射能汚染された福島に引き戻される。<br />
誰一人死んでいない原発事故に何故こだわるのかという人が居るが、この事故に関して分からないことが多すぎる。東京でも、放射能の影響に気が滅入ることがある。除染したからといって放射能に心配なく生活できることにならない。<br />
福島原発では、事故の実態に対して何の検証も加えられないまま、圧力容器が100度以下になっていることをもって、「冷温停止状態が続いており、当面の目標としていたセカンドステージに達したため、収束宣言する」など、政治的な思惑にもとづく判断が続く。核反応が不活性化する本来の収束に至るまで30～40年かかるといわれる。誰も口に出さないけど一定程度確信していること、事故を起こした敷地が最終処分場になるかもしれない。<br />
<br />
居住を不許可とする50ミリシーベルトと、居住を許可する20ミリシーベルトを境界とする新たな線引きも空しい。20ミリシーベルト以下になれば、地元に戻れるというが、1ミリシーベルトを目標とする限り、放射能の高濃度汚染地域であり、除染必要地域であることは間違いない。<br />
また厳しくなった内部被曝の基準では、汚染米が至る所で検出されることになるだろう。<br />
環境回復とはどのような状況に回復することをさしているのだろう。長期にわたり戻れない地域で、土地は捨てられていく。将来のことを考えざるを得ない若い人の多くは戻ってこない。<br />
<br />
原発について、稼動40年を目途に廃炉にしていくこととされた。<br />
しかし、福島原発事故に伴って生じた、放射能汚染された廃棄物の処理のための中間貯蔵施設ですら、地元の反対で、どこに設置するか決まっていない。脱原発の流れは押しとめようもないが、原発の処理に欠かせない最終処分場をどこにするか決まっていない。実は世界において、未だに最終処分された原子力発電はないのだという事実に気が付く。<br />
廃炉から最終処分に至るまでには、今までの造ることを一義とする方法とは異なった科学・技術を必要とするはずだ。核技術から人離れが進む時代に、処理を旨とする技術で人材が育っていくのだろうか。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>碑文谷公園ニュース　新春号</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-01-06</link>  
      <category>地域のこと</category>  
      <pubDate>Fri, 06 Jan 2012 14:57:17 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2012-01-06</guid>  
      <description><![CDATA[<p>　明けまして　おめでとうございます　今年は穏やかな年でありますように<br />
<br />
昨年は、3月11日に東日本で千年に一度の大震災がおき、同時に生じた福島の原発事故による放射能汚染の影響など、大混乱が続いた一年でした。被災の余りの大きさゆえか、自宅に戻れず避難されている地で正月を迎える方は30万人を超し、復興もままなりません。<br />
年をとると、涙腺が緩くなってくるせいでしょうか、震災関連の報道を前に、涙している自分に気が付くこと度々でした。被災された方はさぞ大変だったことかと、今でも思い出すたびに心痛みます。できるだけ早い復興を祈る以外にありません。<br />
昨年選ばれた漢字一文字は、絆でした。<br />
震災の被災地だけではありません。持続可能な高齢社会のために、消費税が上りそうです。それは弱者に痛手を与えるものでもあります。こんな時こそ、人を受け止めるやさしさが必要です。友と出会える場が重要です。<br />
碑文谷公園は、地域の拠点です。<br />
<br />
1.こんな碑文谷公園です<br />
元気なポニー、池を遊ぶ渡り鳥、見事な雪吊り、幟に映える厳島神社、遠く除夜の鐘を聞きながらの恒例の年越しの甘酒、皆さんいかがでしたか。年を越して、どんど焼き（火まつり大会）へと続きます。<br />
グリーンクラブも頑張っています。花を植えると色が増えます。花盗人が出ませんように‥。<br />
今まで、我がくらぶは、様々なことを話し合いながら、公園に関わってきました。<br />
今後も、区やスポルテ目黒とハーモニーセンター、近隣の方々とともに、集い、安心でき、憩える場づくりをしていきたいと思っています。<br />
今年の正月は、からからの天気でした。<br />
碑文谷公園の冬は、渡り鳥の到来から始まります。そして江戸と金沢、二様の雪吊がお目見えし、厳島神社の幟旗が立つと冬の化粧の完成です。花壇では霜が降りています。<br />
これからも、多様さが尊重され、繋がりを大切にした、平和な時が続きますように。<br />
<br />
２.第12回桜フェスティバルは4月1日<br />
「お花見と健康づくりと安心と」をテーマにした、多くの方々が集う桜フェスティバルは、我がくらぶと目黒区の共催のもとで、4月1日（日）に開催の予定です。<br />
昨年は大震災のため、開催を自粛しましたが、寂しい思いをしました。皆さまの暖かい支援と、福祉やスポーツなどの団体、区や消防署、警察署などが協力・参加し、太鼓が鳴り響き、大道芸、参加型のスポーツに興ずる協働イベント、地域に欠かせないお祭りは矢張り必要です。<br />
今年も桜の下でたくさんの方々が楽しんでくれることを願っています。<br />
皆さんのご協力、宜しくお願いします。<br />
当日が近づいたら、チラシをつくり、イベントの内容などをお知らせします。<br />
３.放射線量などについて<br />
碑文谷公園の放射線量に関しては、昨年の暮に測定しており、その結果は目黒区のホームページに掲載されています。<br />
濃度は0.052～0.11μＳＶ/ｈの範囲にあり、ややほっとしています。<br />
寒い日が続きますが、皆さまお体に気をつけて、たまには公園でお会いしましょう。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>暮に近い心象</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-12-16</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Fri, 16 Dec 2011 13:30:35 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-12-16</guid>  
      <description><![CDATA[<p>昨年の冬、心身を病み、日常からの逃避生活を余儀なくされました。そんな私にあの凄まじい大津波の破壊力、東日本大震災の映像が飛び込んできたのは、どうにか日常への回帰を許されて三日目のことでした。そして、その衝撃から覚めやらぬ間に、福島第一原発の爆発が報道されました。二重の被災です。2万人近くの方が死者・行方不明者となり、震災から9ヶ月経っても、30万を超す方々が自宅に戻れずに居ます。<br />
<br />
その個人的な理由もあるかも知れませんし、現役から離れたせいかも知れません。或いは、東北の地は、関西に比べて意識の上で遠かったせいかも知れませんし、焦点を絞るには広すぎたせいかも知れません。齢をとり高齢者の仲間入りをし、年金生活者になりました。そして、被災地には何の足がかりもありませんでした。16年前の阪神淡路のときと異なり、私の中で浮かぶイメージが貧困となり、感性が鈍り、言葉が枯渇していました。<br />
<br />
少子高齢社会が進み、大幅な人口減少が続く地方都市や、このままでは限界集落への途を避けられない農山漁村が、大破した被災地での復興時の条件でした。しかも津波による被害から生命・財産を守るために、被災者は元住んでいた場所に戻ることはできないという、防災上の条件も付け加わりました。今回が千年に一度の規模の災害であっても、その規模に対抗できる安全設計が第一の条件となりました。観光や景観は二の次です。<br />
<br />
その条件に合う復興計画は、巨額の復興事業を伴います。田老町の悲劇が示すように、津波を受け止めるには高さ10ｍの防潮堤では低いのです。高台移転であれ、防潮堤と土地の高盛土の組合せであれ、防災条件を満たす未来の絵は、地方の総力を挙げても届かない絵です。その計画は、初めから国家規模の復興事業であることが前提となっています。被災者が自前でできるまちづくりは、コミュニティ作りや産業の復旧です。<br />
<br />
更に残酷な条件、現代が抱えてしまった災害が、原発事故による放射能汚染によって加わりました。メルトスルーした原発を廃炉するまで最低でも30～40年はかかる見通しですが、更に長引くことも危惧されます。その周辺では高濃度な汚染が続いている可能性が高そうです。このままでは、第一原発の場所が核燃料の最終処分場になりかねません。菅首相のときに脱原発が口の端に上りましたが、野田首相は原発輸出に色気たっぷりです。<br />
<br />
この二次的な被災地では、地震や津波など、震災の直接的な被害がなかったのに、土地から離れざるを得なかった人々を生み出しました。今は人一人いない飯館村の農村風景は美しいものでした。放射線で汚染された警戒区域、計画的避難区域では、住民は避難を余儀なくされました。同じ被災地であっても、原発事故による被災地には復興計画はありません。地盤沈下した地域とやや似ていますが、汚染地域では強制的に居住権を奪われました。<br />
<br />
高濃度に汚染された地域は、長期帰還困難区域（数十年程度戻ることができない可能性がある地域：50ミリシーベルト以上）、居住制限区域（数年後の帰宅を目指して、除染を進める地域：20～50ミリシーベルト）、帰宅準備区域（来年の帰宅に向けて、除染やインフラ整備を進める地域：20ミリシーベルト未満）に三区分されるといいます。20ミリシーベルト/年の地での生活は不安です。福島は実験場ではありません。<br />
<br />
高濃度に汚染された地域の外に、比較的濃度の高い地域が中通りから日光にかけて広がり、所々にホットスポットがあります。福島から遠く足柄の茶に基準越えの汚染が見つかりました。地元の米も、不合格になりました。風評被害ではなく、放射線量が測定されていない福島県産の農作物、海産物は心配です。陸上はきめ細かな汚染地図が公表されていますが、海洋汚染がどの程度なのか、情報は届きません。<br />
<br />
復興事業を始めるのに、被災地に積み上げられている瓦礫を処理しなければなりません。被災地でのゴミ処理能力では対応できず、放射能の汚染されていない瓦礫の一部は、被災地外での処分が進められようとしています。その一方で、関東のゴミ処理施設では、処理した後に生じた高濃度な汚染物質を処分できず、施設内に保持されているという報道がありました。原発事故による被害は、多種多様です。<br />
<br />
発災から9ヶ月経ち、雪の季節になりました。復興計画の案は次々に固められていますが、流される映像は、瓦礫の山が残る、未だに寒々とした何もない被災地然とした風景です。賃貸住宅に仮住まいの方もいれば、質の良い仮設住宅もお目見えしましたが、避難生活に変わりはありません。復興事業には時間がかかりそうです。いつまで避難生活が続くのでしょう。いつ復興し、恒久建築に住めるようになるのでしょう。<br />
<br />
地元に戻るには職が必要です。被災後、被災地に多くの先端企業の立地があったことに驚きました。また漁業が主産業の一つである東日本北部の沿岸では、被災した港湾、漁業関連工場などの復旧が急がれます。しかし、福島では、原発事故の影響で、周囲の多くの工場が移転せざるを得ない状況に追い詰められています。福島は、独立して将来像を議論する必要がありそうです。本当に、若い人は戻ってくるのでしょうか。<br />
<br />
被災地の条件は多様で、復興計画にも様々に工夫があったものと思われます。これから東海・東南海・南海など大震災が予想される沿岸地域の条件は更に多様です。その沿岸部には原発が立地しています。仮に津波被害を受けた地域＝浸水予想区域を無人化する、或いは嵩上げして同等の災害から守るという条件で復興事業を事前に計画するとしたら、今回の被災地以外の浸水予想区域ではどのような制限をかけるべきなのでしょうか。<br />
<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>復興計画から取り残される人災</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-12-07</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Wed, 07 Dec 2011 11:43:18 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-12-07</guid>  
      <description><![CDATA[<p>今年東日本を襲った地震、津波による災害で様々なことが問われ、年末に近く、復興庁が設置されることが決まった。私には、未来が見えない、人災によるもう一つの被災地であるが、復興計画から取り残される福島の課題がつきまとう。<br />
<br />
東日本の復興のニュースには地域的な温度差がある。巨額の事業費を条件にした、各市町村の復興計画が徐々に出揃いつつあるようだが、未だに瓦礫処理の遅れが伝えられる地域もあるし、計画の合意のために必要な権利関係者との接触が難しいといった報道もある。<br />
<br />
それとは別に、福島、原発・放射線量関連のニュース、東電のニュースはその度に人を滅入らせる。ホットスポットが各所にあり、東北南部から関東北部にかけて広域に広がった、公表された文科省による放射能汚染の分布図は衝撃を与えた。<br />
今まで余りに隠し事が多かったせいか、本当にそうなのかが信じられず、新たに流される情報に疑心暗鬼になる。空気中だけでなく、海洋汚染や地下水汚染をどうやって量るのか。魚は本当に安全なのか。<br />
メルトスルーし、格納器の底部を侵食した結果、残るコンクリートの厚さに危うさを覚える。これも危機一髪の状況だったし、これからも危険が付きまとう。<br />
そしてゴルフ場からの訴えに対して、飛び散った放射線は東電の所有物ではないから除染義務は無いという、事故に対する反省、企業としての倫理性を全く感じられない論理に苛立つ。<br />
<br />
また、首相が菅から野田に移行して以降、政治の場で脱原発の議論が棚上げにされ始めた印象が強い。原発事故後になされた電力供給の見直しにおいて、他のエネルギー源と比べて原子力が最も安価であることが堂々と報道される。原発の再稼動や輸出の動きが報道される。<br />
地震・津波によってダメージを受け、炉心溶融を起こした福島第一原発の廃炉という現実が突きつけられていながら、核燃料の最終処分をどうするか、未だに明らかにされていない。<br />
そのような、危険極まりない、持続性がない原子力政策は支持されるはずがないと思っていても、経済界との繋がり、電力利権を大切にする永田町・霞ヶ関の考え方は違う。<br />
<br />
福島での復興は直接的な震災の被災地だけでなく、原発事故による二次的な被災地が重く圧し掛かる。ダブルパンチを受けた地域は、津波による被災そのままの状態で放置されている。ひょっとすると、廃炉のためにかかる30年以上そのままかもしれない。その間に放射性物質の最終処分場が決まらないとすると、事故現場が最終処分場となる。<br />
放射能汚染による二次的な被災地の内、警戒区域では、人影はないものの、生活の空間がそのまま残され、農地は雑草地に代わり、野生化した家畜や猿・鹿・猪が闊歩する。長く放置すれば、森に戻るかもしれない。そしてその外側で、米が汚染され出荷停止が相次いでいる。<br />
<br />
11月17日時点で避難者数の合計は約33万人である。そして県外への避難は、福島県では全避難者数94千人の内59千人と6割以上を占めている。宮城県と岩手県の合計1万人に比べて圧倒的に多い。間接的な避難者の数が入っているかどうかは分からないが、警戒区域など高濃度汚染のために強制的に避難を余儀なくされた人たちだけでなく、放射能被害から身を守るために引越しを選んだ人は結構いるはずだ。そして放射能汚染を避難の原因とした人たちは、汚染が解消しない限り元の地域に戻ってはこない。<br />
福島大のアンケートによれば、2年以上待てる人は１／４に過ぎない。人口減少といった生易しい表現ではなく、高濃度に汚染された地域では人が居なくなるのだ。<br />
<br />
事故原発の廃炉化には30年ほどの時間を必要とするという。30年後、現在の高濃度汚染地域の放射線量は半減するのがよいところだ。それでも十分に高い汚染濃度である。<br />
除染は生活の場ではなされるだろうが、森林は対象外になり、放射能は雨のたびに除染した場に運び込まれる。そのような場に戻って力を合わせて復興しようとは、私の口からは出てこない。若い人、特に幼児や小学生には、計画的に疎開して欲しいと思う。悔しいことだが、戻る人のあてのない被災地では、どのような未来図であっても絵に描いた餅である。<br />
<br />
他所の地域での生活を選ぶ戻らない人たちにとって、高濃度に汚染された被災地は次の生活のために処分する所有物である。しかし、危険区域など、この先何十年もの間、農作物の生産はおろか、人が住んではいけない土地は、どのような値が付けられるのだろう。<br />
<br />
戻りたくとも戻れない人たちに、どのような言葉を発することが可能だろうか。故郷は見えない放射能で汚染され、戻るべき土地の産業は喪失している。人口が大幅に減少する故郷での復興は、以前住んでいた地域では必ずしもなく、拠点となる地区の除染計画とともに作られていく。初めに戻る拠点を元に、少しずつ生活の場が広がっていくのだろう。その合意形成が難しい。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>福島の障壁</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-11-21</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Mon, 21 Nov 2011 17:28:16 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-11-21</guid>  
      <description><![CDATA[<p>なぜか福島の情報から離れられない。<br />
<br />
福島原発事故のため警戒区域などに指定され、避難を余儀なくされた双葉郡8町村に対する福島大学によるアンケートの結果が11月9日の紙上に紹介された。<br />
毎日新聞では『元の居住地へ戻る意思を聞いたところ26.9％が「戻る気はない」と答えた。年代別では、34歳以下が52.3％、80歳以上で13.1％だった。戻らない理由（複数回答）としては「除染が困難」83.1％、「国の安全宣言レベルが信用できない」65.7％、「事故収束に期待できない」61.3％。放射能汚染への不安の大きさが改めて示された。』<br />
『戻る意思がある人でも、待つことのできる期間は「1～2年」と答えた人が37.4％で、｢1年以内」とした人も含めると50.3％となった。「いつまででも待つ」と答えた人は14.6％にとどまった。ただ、世代別では「いつまででも待つ」と答えた人が34歳以下で24.5％となり、世代が上がるごとに割合は低くなった。若い世代では戻る意思を持てない人が多い一方、「いつまででも」帰還を待つ人も多く、二極分化の傾向がうかがえた。』<br />
『今後の生活で困っていること（複数回答）を尋ねたところ、｢避難の期間が分からない」という人が57.8％、｢今後の住居、移動先のめどが立たない」が49.3％と見通しが立たないことを挙げた人が多かった。』と報じている。<br />
<br />
若い層の半数が、元住んでいたところに戻る気はないと答えている。原発周辺の避難地域での復興において、人口減少だけでなく、高齢化が一段と進むことになる。<br />
2年間待つことはできないと避難者の半数の方が答えたというが、2年間でどの程度除染されるのだろうか。国が責任をもつとしている年20ミリシーベルト以上であっても、広範囲にわたり、除染作業は容易ではない。まして生活への支障がないとされる、目標とする1ミリシーベルト以下にするのに数十年かかる可能性が強い。しかも100兆円ともいわれる除染費用は尋常ではない。マイナスをゼロに戻すことすらできない。<br />
<br />
住宅の除染は容易ではないことが分かってきた。庭は、植木類を全て取り払い、土を入れ替えれば、一定の除染効果が見込まれるが、屋根瓦の小さな凸凹の穴に吸着した汚染物質は、高圧洗浄では取りきれず、瓦を取り替えない限り、高濃度のまま住宅の内部を汚染し続ける。コンクリートへの吸着も同様のようだ。時間が経つほどに、除染が難しくなる。里山や林に近い宅地では、木々に吸着した放射性物質が風によって拡散し、また雨のたびに流れ出て、高濃度汚染が続くことも分かってきた。<br />
<br />
11.17福島市の新米から基準値（1ｋｇ当り500ベクレル）を超えるセシウム（630ベクレル）が検出された。それでも、この程度であれば毎日汚染された白米を食べても安全だとコメントする専門家がいる。守るべき安全基準とは何なのだろう。果物は風評被害により既に市場で痛めつけられていた。福島県産の農産物は大打撃を受けている。<br />
爆発で大気中に放出された放射能は10日間で世界一周し、そのうちの半分以上は海に落下したとのことだ。海洋汚染は、原発から直接海に放出された汚染水の分ばかりでなく、汚染された大気が海に降る分も加算される。高濃度に汚染された近海、福島沖の漁業は残念ながら壊滅する。陸だけでなく、海にも戻れないのだ。<br />
そして東北の、特に福島の観光客が激減していることが、報道された。客が居ない宿泊地だけでなく、桃、葡萄などの観光果樹園の閑散とした映像が映し出される。<br />
放射能汚染のために避難せざるを得なかった人たちは、戻りたくとも、戻ることができないのだ。戻る目途がつかない以上、復興は諦めざるを得ないように思われる。<br />
<br />
建築家坂茂氏が避難場所のイメージを変えた。待つことが出来る期間を2年ではなく、3年に延ばすには、避難場所の環境が重要な意味を有する。<br />
阪神淡路大震災の際に紙で造られた鷹取教会は記憶がある。その彼が東日本大震災で、避難所のカーテンによる間仕切りを具体化させ、3階建ての仮設集合住宅作りを提案していた。それは斬新な計画というよりも、避難している先で、身をもって経験した必要性から出てきたアイデアである。避難所でのプライバシー、余りに貧困な仮設住宅の仕様、急を要する建築、その点を解決し、共同で住むことを解くことが、課題だったのだろう。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>復興の計画について２</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-11-14</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Mon, 14 Nov 2011 16:30:13 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-11-14</guid>  
      <description><![CDATA[<p>高台移転を条件とした南三陸町では、復興計画が50年以上分の予算額に匹敵する事業になるという報道があった。また復興事業費の6％の市町村負担すら困難だから、全額国の負担になったとの報道もあった。<br />
東日本大震災の地方負担が無い復興事業において、この際だから盛り込めるものは計画に盛り込もうといったモラルハザード的な対応や、莫大な土木事業費を筆頭に様々な公的支援の下での復興事業を当てにした復興特需を、私としては歓迎する気にはならない。<br />
<br />
被災地・民の手が届く復興が、取り組みの主体を明確にする。市町村自体が被災し、財政的にも、人的にも自立が難しい状況で、国等から与えられた将来像ではなく、従前の状態に匹敵する生業や繋がりの回復など、自前の将来像を掲げて復興の道筋を考えるには、どのようにしたらよいのだろう。各個人の建築費は被災者負担とするなど、一定の自己負担を想定してはいる。しかし仕事がなく、収入が途絶えた被災者には自分の家の建築費の負担すら難しく、多くの場合、公的住宅の提供が必要となろう。<br />
高台移転や地盤のかさ上げなどの大規模な土木事業を入れた復興計画の実現性は、どこまで国が援助できるのかにかかっている。そのため、地元の意向は事業費用を捻出する中央の意志に合わせざるを得ない。このことは、他に新たな巨大震災がおきる、或いは財政危機が深刻化するなど、今回の東日本の被災に対する国民の心情が弱まったときに、復興への道は閉ざされる危険性を抱えることになる。<br />
円高不況や国の財政難を背景に、膨大な復興費を捻出し続けるのは簡単ではない。復興債は25年償還とされたが、次世代の負担ともなるその長きにわたって、復興全てを優先的に国が担い続けることに、国民的な合意ができているとは思えない。<br />
<br />
また津波に対する防衛策とばかりに、復興計画において、今回の津波に抗することができる高さの防潮堤と地盤のかさ上げの組み合わせによる対応策が検討された地域があるとのことだ。その巨大な防潮堤計画に対して、地元からは、今までの生活の基盤であった市街地と海との一体性がなくなる、景観が壊されて観光への影響も出てくるといった意見も出ているという。千年に一度の津波被害に対抗できるハード対策を計画の前提とするか否かは、根底的に問われなければならない点だ。<br />
10ｍの防潮堤を設けた田老でも津波被害は防げず、町が壊滅するほどの大きな被害を受けた。防潮堤に対する信頼が逆目になり、避難が遅れたとも指摘されている。<br />
<br />
民活のために様々な規制緩和措置が可能となる特区制度の活用も取り上げられている。<br />
10.08の日経新聞によれば、復興特区制度の概要は次のとおり。　○復興特別区域の指定：・対象は東日本大震災で一定の被害が発生した200超の地方公共団体・地方公共団体が復興計画を作成、国に認定を受ける　○特区の特例措置：・規制と手続き（企業の漁業参入、バイオマスエネルギー施設開発）・土地利用（都市計画手続きワンストップ処理、農地転用の規制緩和）・法人税減税、利子補給など　○国と地方の協議会設置：自治体から国に支援措置を提案　○復興交付金の創設：自治体が自由に使える資金を交付<br />
関税を初めとする規制を撤廃し、交易を拡大することを目的としたＴＰＰ（環太平洋経済連携協定）が話題をさらっている。小泉政権下、日本に本格的な格差を持ち込んだ新自由主義への怖れが慎重派に力を与えている。過度な支援だけでなく、過度な規制緩和は毒薬になりかねない。<br />
<br />
被災地は、先端技術を持つ企業が多く立地していたことが、震災後の様々な工業生産の供給不足から判明した。（バンコクの水害で、日本企業の打撃が報じられ、進出状況が分かったのと同様である。）<br />
震災後、不景気なことに輪をかけて、東日本での企業倒産も多い。震災前と同じ職が得られるのであれば、被災地に戻っても先行きは一安心である。しかし、港湾や冷凍施設などの破損による水産業を初めとして、地場産業は大きな痛手を受けた。<br />
自分のストックを震災で失い、職も奪われた人たちが避難先から地域に戻ったとき、何を糧に生きていくのだろう。蓄えがなく、職も無いために、仮設住宅に移れず、ホームレスになる被災者の姿が報じられた。<br />
戻るための条件は、放射能汚染の心配がない場合であっても、地域に職があること、住まいがあることだ。当初の飯の種は復興関連事業だろうが、永続的に生活をするための職をどう確保するのか。当面は他力復興であっても、いつの日か、自力復興を必要とする。<br />
<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>復興の計画について1</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-11-07</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Mon, 07 Nov 2011 16:16:11 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-11-07</guid>  
      <description><![CDATA[<p>原発事故の影響を受けなかった被災地が復興するのは何年後が目途になるのだろうか。津波による被災と、地盤液状化による被災とでは対処の方法が異なる。地盤沈下の問題もあるが、発生した場所を考慮すると、津波による被災の中に含めて良い。<br />
また同じ被災地であっても、市街地が全域津波被害を受けた場合と、一部津波被害を受けたが受けなかった地区も存在している場合では、復興のイメージは異なる。また高台移転の可否など、地形条件によって復興計画は変化する。<br />
<br />
東日本大震災の特徴の一つであった津波被害は大きく、沿岸の平地部の集落・市街地は壊滅し、田園地帯も見渡す限り海水に浸った。陸前高田市で津波の到達点を桜で表現するという桜ライン311は、災害の記憶の表現として卓越した方法である。<br />
<br />
復興計画において、この津波と同程度の被害を想定するか否かで、計画条件は大きく異なることになる。<br />
最大遡上高が宮古市の40ｍという今回の津波による被害の大きさ、例えば10ｍの高さの二重の防潮堤を築いた田老町が壊滅したこと、陸前高田の千本松原が一本を残し倒壊したこと、平地部では津波が何もかも押し流したこと、船が陸地の奥深くまで運び上げられたことなどは、その象徴であるし、現在被災地にうずたかく積まれ、3年は処理でかかるであろう瓦礫の多さはその被害の大きさを物語る。<br />
その津波の大きさに対抗できる計画を立てようとすれば、被害を被った沿岸の平地部で住まうことを放棄することから始めなければならなくなる。<br />
<br />
被災した三陸の沿岸地域での今までの人口推移は、ほぼ10年で10％の減少であった。復興に、仮に10年かかるとすれば、現在よりも10％少ない人口が復興した市町村に戻ると仮定されるから、計画規模は当初から10％小さくしておくことが必要になる。しかし、その10年後は更に10％縮小するから、今から10年後を目途に立てられた計画はその分だけ過剰になる。<br />
その過剰になる部分をどう活用していけるかが、計画を立てる際に答を出しておく必要がある点である。日々の生活の利便性の確保や土地・施設の共同利用の工夫、相互扶助の仕組みなどにより、人口が縮減しても、社会の持続性を損なわないような計画である。<br />
<br />
人口の減少だけでなく、現在よりも更に少子高齢化が進み、被災地の多くの市町村で準限界の値に近づく。市町村からの転出者は、他の地域でも職がある比較的齢が下の層であり、主として高齢者が被災した地元に残ることになるから少子高齢化の速度は今まで以上になろう。<br />
特に高齢化が進んでいた三陸沿岸の漁業中心の集落では、限界集落に至る可能性は高い。限界集落は残念ながら消滅する運命の入口である。地域間連携やコミュニティの再編などによって、限界集落への道筋を避けることも、計画上重要な課題である。<br />
<br />
さて、限界集落を抱え、全体でも、社会生活・機能の更新もままならない、持続自体が問われる市町村に対して、復興するに際しての計画規模をどう設定し、どのような手を差し伸べるべきなのだろう。復興後も、少子高齢化・人口減少は止まないとの条件で、復興計画で適正規模をどのように想定すればよいか、難しい。<br />
それはおそらく旧来の祭事、学校区、医療・福祉サービス圏、更に商圏など、基礎的なコミュニティの存続に関わるソフトな領域から想定される課題であり、早くとも1世代の長さ、25～30年後に限界市町村に至らない可能性を想定しながら求める規模なのだと考える。<br />
<br />
復興しても、やがては消滅に至る限界市町村への道まっしぐらでは、計画の費用対効果は低く判定される。<br />
限られた復興費のもとで、個々の街や集落の復興は、被害の程度と市町村の負担に応じて、効果的に設定されることになる。そのため、メンテナンス費などを考慮し、将来に負担をかけることが確実な、過剰な投資を伴う計画は慎むべきだろう。<br />
その意味から、復興事業は全額国が負担として、全てを他力に頼るから事業が可能になる高台移転を前提とする計画にはやや首を傾げたくなる。持続するコミュニティの形成が、復興において重要な課題であるとしたら、そのインフラ全てが他力でつくられることを避けたいためだ。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>復興と原発</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-10-31</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Mon, 31 Oct 2011 10:48:35 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-10-31</guid>  
      <description><![CDATA[<p>福島第一原発の廃炉に30年かかるというニュースを見、核施設を廃棄するためだけの無為な時間の長さを思った。そして汚染土壌などの仮置き場は3年、中間貯蔵は30年という工程表が提示された。東日本大震災の最終段階の処理までに30年の準備期間が必要だということなのだろう。<br />
共に、30年後には最終処分する場所と方法が決まっているという前提である。30年前、今とは全く違う世界であった。30年後の世界は予想すらできない。<br />
<br />
震災翌日に原発が爆発した際に、北西部に高濃度汚染が広がりを見せたという、既にSPEEDIにより放射能汚染の情報を手にしていたはずの政府からなされた、当初の避難指示に大いなる疑義があることを知る。その後無人の美しい田園風景に胸が塞がれた。孫がいるせいもあり、東京の水道水の汚染は衝撃的だった。<br />
ネット上に流れた情報が先行していたが、10月に入り、文部科学省による放射線量の予測や測定値の公開により、福島第一原発周辺だけでなく、1ミリシーベルト／年を越す比較的汚染濃度の高い区域が関東の北部に広がりを見せていることが、公の場で明らかにされた。また不安を募らせた住民自らの計測で発見されつつある高濃度に汚染されたホットスポットの存在が、東京中に広がっていることも、問題を深刻化させている。情報が公開されるに応じて、日常の生活の場が汚染されていることを多くの人が知る。<br />
<br />
原発の爆発時に大気中にばら撒かれた放射線が、雨とともに降り注いだ栃木から群馬にかけての山間部、日光などの観光地は、これから長い間打撃を受けることになる。この山林を除染することはできない。虫のいい話しかもしれないが、原発事故後初めて雨の降った日の風配などで、仮に東京上空に高濃度な放射能の塊があったらと思うと、ぞっとする。<br />
この事故による影響は深刻だったのだろうか、それとも許容内だったのだろうか。幼児に対する内部・外部の被曝の影響が心配だと、福島からだけでなく、関東からも西国等に脱出する子連れの人たちがいることを聞く。<br />
<br />
福島第一原発の大事故の原因が明らかにされるにつれて、原発の安全性が問われ、浜岡原発の稼動停止が要請されたほか、定期点検中の原発の再稼動も難しくなっている。原発54基のうち40基が稼動停止の状態である。原発の稼動停止による電力供給不足に対応するため、計画停電がなされ、この夏大規模な節電がうたわれた。この冬もまた電力の供給不足に見舞われ、節電等の対策を必要とするといわれている。電力不足の宣伝の背後に、原発の再稼動が目されていることを知りながら、地元の合意は難しさを増している。<br />
<br />
福島第一原発の事故を契機に、原発の安全性は絶対ではない、放射能の子供・将来世代への影響は甚大である、原子力は現在の人類の知では制御できない、原発労働者は過酷な労働を余儀なくされている、一度原発が事故り放射能汚染したらその影響は計り知れない、他の方法より安価だといわれてきた原発による電力供給は処理費用まで考えると実際には高くつく、地震列島日本に原発の立地は危険に過ぎる、自然エネルギーの方が持続性に優れているなど、様々な視点から脱原発の声が聞こえてくる。<br />
電力会社を中心とする産官学の原子力村がやっと槍玉にあげられるようになった。<br />
<br />
9月19日、東京での「さようなら原発」の集会とデモに5～6万人が集まった。今も「原発いらない全国の女たちアクション」が動いている。将来世代に災いの種を残すわけにはいかないから、先ずは脱原発なのだ。<br />
<br />
首相が浜岡原発を停止させた菅から原発擁護派である野田に移行し、脱原発に向けての政府対応は弱まったものの、停止している原発の再稼動に向けての動きは鈍いままである。ストレステストのせいではなく、直接的な影響が心配される原発30ｋｍ圏の周辺市町村の反発が相次いでいるためだ。<br />
また九州電力で玄海原発再稼動に関する現地説明で、佐賀県知事からの要請をもとに、やらせメールがあったとした、第三者委員会の報告があったが、その報告を無視した九州電力に対して、経産相がクレームをつけるといった事件が生じた。第三者委員会は報告書を提出した段階で解散しており、既に権限のない元委員長の発言を聞く耳は持たないとした強かな社長の記者会見を覚えている。電力会社の名で、長年人を支配してきた彼らは、自分にたてつく人たちがいるということを理解できないのだろう。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>復興と原発被災地</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-10-26</link>  
      <category>震災の風景その2</category>  
      <pubDate>Wed, 26 Oct 2011 13:23:41 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-10-26</guid>  
      <description><![CDATA[<p>復興計画ができ、予算が付けば、復興事業がスタートするが、その段取りの初めに、瓦礫処理が必要である。焼却・最終処分場・リサイクルに分別されていても、被災地にうずたかく積まれた瓦礫の山は気持ちを萎えさせる。埋め立てか盛土か、復興計画に従って瓦礫も復興用の材料の一部になる。但し、放射線量が高い瓦礫はそのまま放置される。<br />
<br />
東日本大震災において被災地の特徴は三通りある。大地震に伴う津波による被災地、地盤液状化による被災地、及び原発事故に伴う放射能汚染による被災地である。大地震の直接の影響と、間接的な影響に分類すれば二通りである。<br />
<br />
残念ながら原発事故の影響が無視できない高濃度汚染区域での復興は、期間が想定できない。津波被災にあっていなくとも、原発被災地である警戒区域・計画的避難区域では数十年帰ることはできないと予想される。それは高齢者にとって残された一生の時間である。<br />
<br />
20～30ｋｍ圏に設定されていた緊急時避難区域が9月末に解除され、居住可能地域とされ、住民が帰宅し始めたが、1ミリシーベルト／年を最大値とする安心できる生活のためには、先ず生活空間の除染が必要である。放射性物質の半減期を考慮すると、現在の放射線量が半分になるのに5～6年はかかると言われている。福島の中通から栃木、群馬の山林域を中心に広がる、現在の濃度0.2～0.5マイクロシーベルト／ｈの範囲では、安心して日常的な生活が営まれていくには、最低でもその程度の時間がかかることになろう。原発事故の深刻な影響を受けている0.5マイクロシーベルト／ｈを越す地域では、年20ミリシーベルト（平均2マイクロシーベルト／ｈ）とする暫定の基準値から、居住可能といわれても、公共施設だけでなく、日々の生活空間における除染は必要であるし、安心できる生活のためには更に長い年月を必要とする。しかし、一度故郷を離れ、他の地域で新たな職を見つけ、生活し始めると、それだけの年月を、待ち、故郷に戻る意思を持続することは難しい。<br />
<br />
被災地からの大文字焼き用の木材、花火など、放射能を理由に西国で受け入れを拒まれた。<br />
また放射能汚染物質の県外移出は禁止されるためだろう、福島県にとどまらず、8都県で汚染物質の中間貯蔵施設の設置を必要とする旨が通知された。中間貯蔵施設は、そのまま放置されて最終処分場になる可能性が否定できない。現在穴を掘って埋めているようだが、除染作業に伴って発生する汚染土砂をどこに捨てるかは、復興期の課題として残る。<br />
福島県外でも、一般ゴミの焼却灰や下水処理後の汚泥で高濃度汚染が報告されていることは、放射能汚染が首都圏において広く及んでいることを物語る。現在焼却場などの一角に置かれている汚染ゴミが満杯になったとき、どこに置かれるのか、十分な監視が必要である。これから落ち葉の季節である。汚染された葉をどう処理するのか頭が痛い。今年の腐葉土は使い物になるまい。<br />
<br />
お茶と茸の汚染が広範囲にわたっている。風評被害か、福島県産の果物や野菜は、基準値を満たしていても市場に出ないでいるか、安価で店先に並ぶ。風評被害というが、的確な情報を出さずにいたことは風評を強めた対応だったし、何よりも東電の対応のひどさもあり、放射能汚染の情報に関して消費者の信頼を失したことが大きい。幸いなことに、今年の福島県産の米は基準値以内であり出荷可能と判定されたが、福島産ということで、そう簡単には店先に並ばない可能性が高い。<br />
また放射能に汚染された動物は、牛や馬、ブタなどの家畜だけではない。福島第一原発からの汚染水による海洋汚染も厳しく、福島沖の水産業の目途も立ってはいない。畜産、農業、漁業、福島県ではいずれも原発事故により大打撃を被り、被災が継続している状況である。林業への影響もあるだろう。<br />
<br />
被災地に戻れても、以前からの職がなく、高濃度な放射能汚染と合わせて、生活の基盤を二重、三重に奪われている。見えない放射能が壁となる原発被災地での復興とはどのような姿を言うのだろうか。放射能汚染の付けは根が深そうである。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item>  
    <item> 
      <title>碑文谷公園ニュース　秋号</title>  
      <link>http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-10-19</link>  
      <category>地域のこと</category>  
      <pubDate>Wed, 19 Oct 2011 14:05:57 +0900</pubDate>  
      <guid isPermaLink="false">http://haotakaban.blog.so-net.ne.jp/2011-10-19</guid>  
      <description><![CDATA[<p>第５３号　暑さも彼岸まででした　今年の秋、皆さんいかがですか<br />
<br />
今年の夏の終わり、台風12号は紀伊半島に記録的な豪雨をもたらしました。3～4日間の合計雨量が何と1.8ｍだったといいます。幸いなことに台風は東京を外れてくれました。東京にそれだけの雨が襲ったら、至る所が水浸しになったことでしょう。公園付近の碑文谷、三谷、清水といった地名は低地を表しており、水の被害に強いとはいえません。<br />
東京での被害は、台風15号の風によるもので、公園の木々が打撃を受けたとのことです。<br />
さて、東日本大震災から七ヶ月経ちました。福島第一原発周囲の避難を余儀なくされている地域を含めて、未だ避難している方は大勢いらっしゃいます。街が復興するまで、仮設住宅での生活がしばらく続きそうです。津波被害にあった被災地では、瓦礫処理を終え、そろそろ復興計画が固まる段階です。復興計画ができないと、いくら建てようと思っても、建築が認められないのです。将来の街のイメージは、津波の被害を受けた低地を避け、高台に移転する案など、今までの生活とは違う計画が議論されているようです。脱原発もそうですが、合意は簡単ではなさそうです。これからは、放射能汚染と向き合わなくてはなりません。<br />
破損した港や水産施設が被災したまま残る一方で、魚の水揚げが映像で流れると、ほっとします。復興に向けて頑張る気仙沼の秋刀魚を愛でる目黒の「ＳＵＮまつり」が9月に予定通り開催されました。<br />
碑文谷公園と東北との縁がもう一つありました。体育館側の正門の横で育てられた「リベラのひまわり」です。詳しくは「花いっぱいになあれ」というブログにアクセスして下さい。<br />
<br />
１.夏のこと　そして秋　<br />
今年の夏は節電と暑さの戦いでした。<br />
夏、恒例の盆踊りがありました。公園の夜景を美しくする盆踊りは欠かせませんね。<br />
池周りの公園では、蝉の大合唱。バラ園やいくつもの花壇の様々な花が、心を和ませます。<br />
花の公園では、白百合、合歓の木、黄花コスモス、酔芙蓉、百日紅、箒草、色とりどりの花が咲き乱れていました。葡萄もなりました。<br />
夏の暑さは身体に堪えますが、公園にはリピーターが大勢います。<br />
動物広場に子どもたちが集まり、暑さの中、ポニーや南相馬からの馬も頑張っていました。<br />
スポルテ目黒の気配りのもとで、野球場や体育館で、様々な運動が繰り広げられました。<br />
ボートに乗れるこの公園は恵まれています。<br />
芝生広場での憩い、自由広場の遊び、園路のウォーキングは、暑さのため少し控えめでした。<br />
そして秋、今年は綺麗な十五夜でした。季節の変わり目、八幡様の祭とお彼岸、花の公園の金と銀のモクセイ、池周りにある野草苑の見事な曼珠沙華、たますだれ、萩が秋の入り口を告げます。そしてすっかり涼しくなりました。<br />
<br />
２.秋は、おまつりが続きます　<br />
八幡様のお祭り、毎年盛況です。地域の子供神輿も、公園から出発しました。<br />
①めぐろスポーツまつり<br />
体育の日10月10日は第10回「めぐろスポーツまつり」でした。秋晴れの下、子供からお年寄りまで、大勢の方で賑わいました。スポーツの幅広さを理解するのに恰好の日でした。<br />
②住区まつり<br />
10月22日、23日は、住区での催し、運動会、ヨサコイ踊り、鷹番「住区まつり」です。<br />
公園くらぶは、鷹番小学校で、苗木配布です。<br />
③スポルテ目黒7周年イベント<br />
スポルテ目黒のイベント「わくわくスポーツランド」が、11月6日に開催予定で、様々なスポーツが繰り広げられます。<br />
くらぶは模擬店で参加です。<br />
<br />
３.公園を話し合う会の報告<br />
10月5日「碑文谷公園を話し合う会」でした。<br />
ポニーや小動物公園の利用者は、年間10万人に達するとのこと、頑張っています。<br />
緊急財政対策による碑文谷公園関連事業の見直しで、体育館は来年度に耐震工事、但し改築事業は先に延びるとのことでした。四阿の跡地の利用について、意見交換していくことになりました。また目黒区の放射線量は高くなく、碑文谷公園も心配しなくともよいとのことでした。<br />
<a name="more"></a></p>]]></description>  
      <author>haotakaban</author> 
    </item> 
  </channel> 
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