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    <title>sabato sera:MarginalGate</title>  
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    <description>異界と常世を繋ぐ門…ＭａｒｇｉｎａｌＧａｔｅ。ｓａｂａｔｏ ｓｅｒａは土曜の夜かつサバトの夜。常世のお気楽魔女志願者がお気に入りたちを紹介する「週末思想（笑）」なＷｅｂｌｏｇです。</description>  
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    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2011-05-30T00:25:05+09:00</dc:date>  
    <dc:language>ja</dc:language>  
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  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29"> 
    <title>「夢のすべて」大石　直紀</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2011-05-29</link>  
    <description><![CDATA[<p>夢のすべて 　  　 (角川文庫)作者: 大石　直紀出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)発売日: 2011/02/25メディア: 文庫初出：2006年5月「オブリビオン～忘却」（角川書店）を改題忙しさにかまけてボーっとしていたその日、出掛ける電車の中で読もう、と買い置いていた１冊の文庫本を手に取った。ブツ切りでも読めるように、と評論書のつもりで持ち出していたので、すっかり勘違いしたまま、地下鉄に乗り込むとすぐにページを開いて読み始めた…これが小説、そしてミステリーと気付いた時には既に夢中で読み進めていた。帰宅後そのまま2時過ぎまで一気に400ページを読了。最初はタイトルに惹かれて買ったのだ。「夢のすべて」。夢に関わる幻想、あるいは幻視的な話、脳科学系。ところがまったく「夢」の話ではない。いや、「夢」を「記憶」と置き換えれば良いのか。「夢でも視ていたように過ぎて行った日々」と言えば良いのか。６歳までの記憶の無い少女。兄はそれを前世だと思えばよい、と言う。しかし彼女は知ってしまった、本当の両親の存在を。物語は彼女と、そして犯罪者として逃げ続ける父親を、２つの軸として進む。福祉系の仕事をしていたときに、人の人生を「生活史」として略歴を綴っていたことがある。どんな家庭に生まれ育ち、どんな教育を受け、どうやって自活するようになったか。どんな成り行きで結婚・同禽・離別し、どのように病を得たか、等々。なるようにしてなった者もいれば思いもかけずといった者もいる。自堕落な者ばかりでもなく勤勉にも関わらず、ということもある。しかしいずれにせよ、人ひとりの人生はLike a rolling stoneなのだ。まさに転がる石の如く流転する父・信彦と娘・梓を結んだものは楽器・バンドネオン。独特の音色を持つ、アコーディオンに似た南米の楽器である。物語は流転する信彦を追うようにスピードを上げて転がっていく。まるで「血」のように身体に流れる「音楽」によって悲劇は起こりまた終息する。それはまた、癒しとなり、読後を救いのあるものとしている。梓の中に流れる血。それもまた「記憶」と言えるだろう。育った環境の中に連綿とある家族（一族や血族）の記憶。そして転がるように生きてきた人生。まるでそれは夢を視ていたかのような。そう気付いて、改題の意図を知る。やられた。これは読み捨てとなりがちなミステリーの中で、「何度も読みたくなる」一冊となっ..</p>]]></description>  
    <dc:subject>BOOKS…「魔女の本棚」</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2011-05-30T00:25:05+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
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<div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043944144/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ns%2BC6CJdL._SL160_.jpg" class="sonet-asin-image" alt="夢のすべて 　  　 (角川文庫)" title="夢のすべて 　  　 (角川文庫)"></a><div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043944144/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank">夢のすべて 　  　 (角川文庫)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 大石　直紀</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2011/02/25</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 文庫</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><br />
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初出：2006年5月「オブリビオン～忘却」（角川書店）を改題<br />
<br />
<br />
忙しさにかまけてボーっとしていたその日、出掛ける電車の中で読もう、と買い置いていた１冊の文庫本を手に取った。<br />
ブツ切りでも読めるように、と評論書のつもりで持ち出していたので、すっかり勘違いしたまま、地下鉄に乗り込むとすぐにページを開いて読み始めた…<br />
これが小説、そしてミステリーと気付いた時には既に夢中で読み進めていた。<br />
帰宅後そのまま2時過ぎまで一気に400ページを読了。<br />
<br />
最初はタイトルに惹かれて買ったのだ。<br />
「夢のすべて」。<br />
夢に関わる幻想、あるいは幻視的な話、脳科学系。<br />
ところがまったく「夢」の話ではない。<br />
いや、「夢」を「記憶」と置き換えれば良いのか。<br />
「夢でも視ていたように過ぎて行った日々」と言えば良いのか。<br />
<br />
６歳までの記憶の無い少女。<br />
兄はそれを前世だと思えばよい、と言う。<br />
しかし彼女は知ってしまった、本当の両親の存在を。<br />
物語は彼女と、そして犯罪者として逃げ続ける父親を、２つの軸として進む。<br />
<br />
福祉系の仕事をしていたときに、人の人生を「生活史」として略歴を綴っていたことがある。<br />
どんな家庭に生まれ育ち、どんな教育を受け、どうやって自活するようになったか。<br />
どんな成り行きで結婚・同禽・離別し、どのように病を得たか、等々。<br />
なるようにしてなった者もいれば思いもかけずといった者もいる。<br />
自堕落な者ばかりでもなく勤勉にも関わらず、ということもある。<br />
しかしいずれにせよ、人ひとりの人生はLike a rolling stoneなのだ。<br />
<br />
まさに転がる石の如く流転する父・信彦と娘・梓を結んだものは楽器・バンドネオン。<br />
独特の音色を持つ、アコーディオンに似た南米の楽器である。<br />
物語は流転する信彦を追うようにスピードを上げて転がっていく。<br />
まるで「血」のように身体に流れる「音楽」によって悲劇は起こりまた終息する。<br />
それはまた、癒しとなり、読後を救いのあるものとしている。<br />
<br />
梓の中に流れる血。それもまた「記憶」と言えるだろう。<br />
育った環境の中に連綿とある家族（一族や血族）の記憶。<br />
そして転がるように生きてきた人生。<br />
まるでそれは夢を視ていたかのような。<br />
<br />
そう気付いて、改題の意図を知る。やられた。<br />
これは読み捨てとなりがちなミステリーの中で、「何度も読みたくなる」一冊となった。<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2011-01-16"> 
    <title>1/15 rice "PREMIUM LIVE 2011「演リ初メ」" @ shibuya O-WEST</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2011-01-16</link>  
    <description><![CDATA[<p>鋭いギター音による幕開け。力強いリズムに重なる、それはとてもとても温かい歌声だ。恒例11/1以来のワンマンライブ。今年で10年目、スタートが早くまだ若いがキャリアは充分、気合も充分。とにかくライブを演れるのが嬉しい、歌えることが嬉しいというYUKI。はち切れんばかりに充実しているのだろう、それはパフォーマンスにも現れる。盟友HIROの揺るぎないドラムと気心知れた演奏隊との信頼関係も。ただ「のびやか」と言うだけではない。全ての「歓び」がそこにある。楽曲は、激しいロックはもちろんだが、バラードが多い。歌いたい気持ちを表現すると必然的にそうなるのだろう。温かい声、ロックの爆音をも包み込む、優しく柔らかく、そして想いの強さそのままの。まさに「歌う」とは声の持つ「力」の発現。これまで聴いてきた彼の歌声の、最高地点と言ってもいいくらい、それは美しかった。（非難を怖れずに言うならば、まさに「死亡フラグ」が立つくらいに。）彼らはかつて「癒しの天使」の名のもとで生きていた。Raphaelと言う名の。昨年リーダー華月の命日にあたり、YUKIは沈黙していた10年を言葉に換えた。そしてこの日、新しい年の始まりに、なにかふっきれたような、爆発するような、（あぁ悔しいくらい言葉が足りない、）ともかく前向きな力でもって進み出したのだ。最後に「間に合った」ということで新譜の発表があった。新譜と言っても以前から演奏している曲・「凛」。今なら自信を持って出せる、と言う。PVも流された。揃いの衣装は制服風。あれ。どこか懐かしいような。…「卒業」（Raphael）？3月16日発売だし。10年の時を経て、まさに次の一歩を踏み出すための「卒業」なのかもしれない。悩んで悩んで進んできた道、もう迷わずに突き進もう、そんなメッセージと受け止めよう。それは受け手にとっても、大きな力となるはず。「夢より素敵な」ライブをありがとう。</p>]]></description>  
    <dc:subject>ＭＵＳＩＣ…聴く。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2011-01-16T11:02:00+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
鋭いギター音による幕開け。<br />
力強いリズムに重なる、それはとてもとても温かい歌声だ。<br />
<br />
恒例11/1以来のワンマンライブ。<br />
今年で10年目、スタートが早くまだ若いがキャリアは充分、気合も充分。<br />
とにかくライブを演れるのが嬉しい、歌えることが嬉しいというYUKI。<br />
はち切れんばかりに充実しているのだろう、それはパフォーマンスにも現れる。<br />
盟友HIROの揺るぎないドラムと気心知れた演奏隊との信頼関係も。<br />
ただ「のびやか」と言うだけではない。<br />
全ての「歓び」がそこにある。<br />
楽曲は、激しいロックはもちろんだが、バラードが多い。<br />
歌いたい気持ちを表現すると必然的にそうなるのだろう。<br />
温かい声、ロックの爆音をも包み込む、優しく柔らかく、そして想いの強さそのままの。<br />
まさに「歌う」とは声の持つ「力」の発現。<br />
これまで聴いてきた彼の歌声の、最高地点と言ってもいいくらい、それは美しかった。<br />
（非難を怖れずに言うならば、まさに「死亡フラグ」が立つくらいに。）<br />
<br />
彼らはかつて「癒しの天使」の名のもとで生きていた。<br />
Raphaelと言う名の。<br />
昨年リーダー華月の命日にあたり、YUKIは沈黙していた10年を言葉に換えた。<br />
そしてこの日、新しい年の始まりに、なにかふっきれたような、爆発するような、（あぁ悔しいくらい言葉が足りない、）ともかく前向きな力でもって進み出したのだ。<br />
最後に「間に合った」ということで新譜の発表があった。<br />
新譜と言っても以前から演奏している曲・「凛」。今なら自信を持って出せる、と言う。<br />
PVも流された。揃いの衣装は制服風。<br />
あれ。どこか懐かしいような。…「卒業」（Raphael）？<br />
3月16日発売だし。<br />
10年の時を経て、まさに次の一歩を踏み出すための「卒業」なのかもしれない。<br />
悩んで悩んで進んできた道、もう迷わずに突き進もう、そんなメッセージと受け止めよう。<br />
それは受け手にとっても、大きな力となるはず。<br />
「夢より素敵な」ライブをありがとう。<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2011-01-11"> 
    <title>「生命をつなぐ進化の不思議」内田　亮子</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2011-01-11</link>  
    <description><![CDATA[<p>生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)作者: 内田 亮子出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/10メディア: 新書就職したばかりの頃、ひとりの先輩女性がこう言った。「人はね、生きてる間に３つのうちのどれかを残せば良いんだって。　それは、『もの（作品）』『金（資産）』そして『こども』。　私はね、子どもを産んだのでもういいの。」80年代初め、まだ事務職では育児休暇の取れなかった時代。当時でも共働きの当たり前の職場だったが、若干遠距離通勤でもあった彼女は、夫の実家住まいで、家族からも「お嫁さん」であることを望まれていたこともあり（だからこそ「自分」でいるために仕事を辞めなかったのではあったが）、3人目の子を出産してしばらくしてから退職していった。「あなたは何を残すのかな。」人間は、動物である。生命（いのち）をもつもの、生物の中の「ヒト」と言う種である。生命とは、何か。遺伝子により継続していくもの、少しずつ少しずつ、周りの環境に適応しながら、また、周りの環境を変えながら、本能として「種の保存」を知り、連綿とつながっていくひとつの生命。個体には長くも短くも寿命があり、生まれては死んでいく。しかし「生命」と大きなくくりをしてみると、種・それ自体がひとつの生命とも考えられる。アメーバのような原生生物が細胞分裂を繰り返しながら大きくなっていくように。生命はその維持のために様々な行動を起こす。食べる。共同生活をする。繁殖する。種ごとの方法はともかく、次世代を産み育て、個体としては老いそして死ぬ。人は、いや、ヒトは確かに高度な知能を持っているが、結局は他の生物と変わることはない。本書はまず、生物の種としての行動をひとつひとつ積み上げてひも解いていく。昆虫も鳥も小動物も猿も人も、食べることで個体の生命維持をし、その栄養状態によって繁殖をする。効率を求めて社会を形成する。楽になった分退化する。それがまた必要性を生み社会が進化する。（ヒトが他の生物と違うとすれば「経済」が異常に「進化」したと言うところかも知れない。）大型類人猿の調査で、個体の栄養状態により子どもを産む数が増えたり減ったりする、と言うのは面白い、と思った。なるほどヒトの産む子どもの数は減るわけだ。母体だけでなく精子生成の増減も変わる。個々の生命の生き方＝ライフサイクルを辿りながら記述は進んでいく。そして老化。（これは自分の年齢的にも..</p>]]></description>  
    <dc:subject>BOOKS…「魔女の本棚」</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2011-01-12T00:45:38+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
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<div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480064419/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41etD5Egx4L._SL160_.jpg" class="sonet-asin-image" alt="生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)" title="生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)"></a><div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480064419/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank">生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">作者: 内田 亮子</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: 筑摩書房</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2008/10</li><li class="sonet-asin-label">メディア: 新書</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><br />
<!--/ amazon --><br />
就職したばかりの頃、ひとりの先輩女性がこう言った。<br />
「人はね、生きてる間に３つのうちのどれかを残せば良いんだって。<br />
　それは、『もの（作品）』『金（資産）』そして『こども』。<br />
　私はね、子どもを産んだのでもういいの。」<br />
80年代初め、まだ事務職では育児休暇の取れなかった時代。当時でも共働きの当たり前の職場だったが、若干遠距離通勤でもあった彼女は、夫の実家住まいで、家族からも「お嫁さん」であることを望まれていたこともあり（だからこそ「自分」でいるために仕事を辞めなかったのではあったが）、3人目の子を出産してしばらくしてから退職していった。<br />
「あなたは何を残すのかな。」<br />
<br />
人間は、動物である。生命（いのち）をもつもの、生物の中の「ヒト」と言う種である。<br />
生命とは、何か。<br />
遺伝子により継続していくもの、少しずつ少しずつ、周りの環境に適応しながら、また、周りの環境を変えながら、本能として「種の保存」を知り、連綿とつながっていくひとつの生命。<br />
個体には長くも短くも寿命があり、生まれては死んでいく。<br />
しかし「生命」と大きなくくりをしてみると、種・それ自体がひとつの生命とも考えられる。<br />
アメーバのような原生生物が細胞分裂を繰り返しながら大きくなっていくように。<br />
<br />
生命はその維持のために様々な行動を起こす。<br />
食べる。共同生活をする。繁殖する。<br />
種ごとの方法はともかく、次世代を産み育て、個体としては老いそして死ぬ。<br />
人は、いや、ヒトは確かに高度な知能を持っているが、結局は他の生物と変わることはない。<br />
<br />
本書はまず、生物の種としての行動をひとつひとつ積み上げてひも解いていく。<br />
昆虫も鳥も小動物も猿も人も、食べることで個体の生命維持をし、その栄養状態によって繁殖をする。<br />
効率を求めて社会を形成する。楽になった分退化する。それがまた必要性を生み社会が進化する。（ヒトが他の生物と違うとすれば「経済」が異常に「進化」したと言うところかも知れない。）<br />
大型類人猿の調査で、個体の栄養状態により子どもを産む数が増えたり減ったりする、と言うのは面白い、と思った。なるほどヒトの産む子どもの数は減るわけだ。母体だけでなく精子生成の増減も変わる。<br />
個々の生命の生き方＝ライフサイクルを辿りながら記述は進んでいく。<br />
そして老化。（これは自分の年齢的にも一番の関心事かもしれない。）<br />
そもそも野生動物では老衰よりも事故（捕食）・病気・気候変動で死ぬのが殆どだそうだ。<br />
ヒトに限らずだが、長い命を得てしまったが故に「老化」がある。<br />
類人猿のデータを中心に各種研究成果を元に語られてはいるが、実にここまで人間社会に寄りそって章立てが進められている。生物学の本なのに社会学の本を読んでいる気にさせられるのだ。<br />
<br />
最終章、いよいよ「死」が語られる。<br />
死は「個体」としての生命の終わりである。<br />
しかし生命は社会を作り次世代につながって行く。<br />
ここでやっと、「ヒト」が「人間」であるための生き方が示されるのだ。<br />
すなわち「知」。他の生物にも「知」の蓄積はあるが、ヒトは大きな大脳を得たことで「知」の方面で大きな進化を遂げた。しかしそれにより自然界としては大きく環境を変えてしまっている。<br />
蓄積された「知」がクライシスを起こそうとしているように言う人は多いが、回避できるのもまた「知」。<br />
「生き方」そのものに「知」を働かせ、それを次世代に伝えていく。<br />
それこそが「ヒト」と言う種を生き残らせるための手段なのだろう。<br />
<br />
本の帯に「ライフヒストリーという物語」と書かれていた。<br />
「人間」と言う社会的生物が、ひとつの生命としての物語を綴っていく。<br />
堅いようで柔らかい頭脳を持つこの碩学のひとりの生物学者が同い年の女性であることに、誇りと、ちょっと嫉妬を感じてしまった。あなたは既に素晴らしい「知」を確実に残していますよ、と。<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2010-12-13"> 
    <title>CD「TWIN GATE」 exist†trace</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2010-12-13</link>  
    <description><![CDATA[<p>NO MUSIC NO LIFE というほどでもないが、音楽は生きて行くための糧の一つにはなっている。しかしここ何年も、TVやラジオもほとんど点けず、積極的に情報を仕入れていないせいで、ついなんとなく、いつも同じアーティストの曲ばかり聴いていることが多い。加齢のせいもあるのかもしれないが、流れてくる新しい曲に興味を持てなかったり。2世代ほど上のひとなら「今の若い人の聴く音楽はねぇ」と言うところだろうか。でも、そうじゃない、世代の話ではない。自分にとっての「聴きたい音」っていうのがあって、それが単に今の主流じゃないってことなのだ。で、好きなアーティストが出す新譜はある程度追いかけているのだが、たまに新しい刺激が欲しくなる。そんなときの心強い味方はショップサイトの「同じ傾向のアーティスト」やジャンル別紹介コーナーだ。そんなわけで今回手を出したのが、この「exist†trace」と言うバンドである。　公式サイト→http://www.exist-trace.com/（音出ます注意）　　　　　　　　　http://www.myspace.com/existxtraceビジュアル系と言って良いのだろう。ハードな音とメロディアスな楽曲。そして、5人のメンバー全員が女性。ここでジェンダー論を持ち出す気はさらさらないが、所謂「ガールズバンド」ではない骨太なしっかりした音に、若干の気負いは感じられるものの確かに女性であるＶｏ．ジョウの声。ビジュアル的には中性的いやむしろ男性的かもしれない。歌声はベタつかず、それでいて適度な湿度もあり、感情過多ではないが緩急あり、そして何よりもグルーブ感が心地よい。Ｖｏ．だけでない、バンド全体のグルーブ感、疾走感が小気味よいのだ。演じる楽曲そのものに決して目新しさはない。1曲目などは気負いが感じられすぎて、ちょっとイマイチかな、と思ってしまった。しかし2曲目、3曲目と進むうち、過去から累積している自分の好きな「こういう音（ジャンル）」、と言うものを忠実に再現している、そんな感じで、聴いているのが心地くなってくるのである。それは現代のＶ系ロックやＨＭと言うよりも、むしろ私の一番大好きな'70s後半のロックに近いのかもしれない。これまで聴いて来た音楽の中での個人的ベスト１は、もっともアーティスティックな影響を受けるティーンエイジに出逢ったBostonの"More Than a Feeling"なのだが、..</p>]]></description>  
    <dc:subject>ＭＵＳＩＣ…聴く。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2010-12-13T00:49:45+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
NO MUSIC NO LIFE というほどでもないが、音楽は生きて行くための糧の一つにはなっている。<br />
しかしここ何年も、TVやラジオもほとんど点けず、積極的に情報を仕入れていないせいで、ついなんとなく、いつも同じアーティストの曲ばかり聴いていることが多い。<br />
加齢のせいもあるのかもしれないが、流れてくる新しい曲に興味を持てなかったり。<br />
2世代ほど上のひとなら「今の若い人の聴く音楽はねぇ」と言うところだろうか。<br />
でも、そうじゃない、世代の話ではない。<br />
自分にとっての「聴きたい音」っていうのがあって、それが単に今の主流じゃないってことなのだ。<br />
で、好きなアーティストが出す新譜はある程度追いかけているのだが、たまに新しい刺激が欲しくなる。<br />
そんなときの心強い味方はショップサイトの「同じ傾向のアーティスト」やジャンル別紹介コーナーだ。<br />
<br />
そんなわけで今回手を出したのが、この「exist†trace」と言うバンドである。<br />
　公式サイト→<a href="http://www.exist-trace.com/" target="_blank">http://www.exist-trace.com/</a>（音出ます注意）<br />
　　　　　　　　　<a href="http://www.myspace.com/existxtrace" target="_blank">http://www.myspace.com/existxtrace</a><br />
<br />
ビジュアル系と言って良いのだろう。ハードな音とメロディアスな楽曲。<br />
そして、5人のメンバー全員が女性。<br />
ここでジェンダー論を持ち出す気はさらさらないが、所謂「ガールズバンド」ではない骨太なしっかりした音に、若干の気負いは感じられるものの確かに女性であるＶｏ．ジョウの声。ビジュアル的には中性的いやむしろ男性的かもしれない。歌声はベタつかず、それでいて適度な湿度もあり、感情過多ではないが緩急あり、そして何よりもグルーブ感が心地よい。Ｖｏ．だけでない、バンド全体のグルーブ感、疾走感が小気味よいのだ。<br />
<br />
演じる楽曲そのものに決して目新しさはない。<br />
1曲目などは気負いが感じられすぎて、ちょっとイマイチかな、と思ってしまった。<br />
しかし2曲目、3曲目と進むうち、過去から累積している自分の好きな「こういう音（ジャンル）」、と言うものを忠実に再現している、そんな感じで、聴いているのが心地くなってくるのである。<br />
<br />
それは現代のＶ系ロックやＨＭと言うよりも、むしろ私の一番大好きな'70s後半のロックに近いのかもしれない。これまで聴いて来た音楽の中での個人的ベスト１は、もっともアーティスティックな影響を受けるティーンエイジに出逢ったBostonの"More Than a Feeling"なのだが、流石にそこまでは遡らないにしろ（古いロックの「もったり感」はない）、'90sのヴィジュアル系創生期～全盛期のうちの、どこか懐かしい曲調と、ロック色の強い部分を引き継いでいる正統派という印象だ。<br />
<br />
人間、どうしたって自分の若いときの影響が一番強い。<br />
加齢により変わるっていうのもあるだろうが、やはり好きな「音」は好きなのだ。<br />
今現在街で流れる「音」が嫌いなわけではないが、探せばまだまだ同じ志向で音づくりをしている若い人もいる、それが嬉しく、それでまた、ときどき思い出したように「新人探し」をしてしまうのである。<br />
<br />
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<div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00444MDCG/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51a2DMC64YL._SL160_.jpg" class="sonet-asin-image" alt="TWIN GATE" title="TWIN GATE"></a><div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00444MDCG/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank">TWIN GATE</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">アーティスト: </li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: Monster's inc.</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2010/11/03</li><li class="sonet-asin-label">メディア: CD</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><br />
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（↑なぜか上記アマゾンのアーティスト名が表示されてませんが、「exist†trace」の真ん中が記号だからでしょうか。ちなみに短剣符（ダガー）です。）<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2010-02-15"> 
    <title>La'cryma Christi ”Resurrection”＠ZeppTokyo &amp; C.C.Lemon HALL</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2010-02-15</link>  
    <description><![CDATA[<p>昨年秋口、突如発表された再結成。10月に実施の大イベント「V-ROCK FESTIVAL」で、当初発表の出演バンドではなかったが、追加で出演が決まったとの報であった。行きたいのはやまやまだが、イベントは体力的に厳しいので、まぁお祭り的な花火みたいなもんだろうと勝手に解釈してスルーしたものの、ついつい気になりグズグズmixiのコミュとか見ていたところ、1月にツアー！とあって。計５回（うち東京４大阪１）、ネットで抽選とか、懐具合もあって躊躇していたら第1次終了、落ちた人もいるとかで慌てて第2次に東京分全日申し込んだら全部当たってしまった（最終的には余裕があった模様）。身内でもファンがおり、流石に複数枚は無理なので１日分だけ譲り（連続だと身体がしんどいってのが本音）、まさに指折り数えつつ年明けを迎えた。1/12、ZeppTokyo。3年前のあの日、この日がこんなに早く来ようとは思ってもいなかった。その同じ会場で、再び彼らに逢おうとは。もちろんあちこちのバンドで再結成なんていう話もあるし、可能性がないとは思っていなかったのであるが、とにかくサプライズであったし嬉しいことに間違いない。メンバーのTAKAとHIROのユニットLibraianのライブもこのところ小さいイベントばかりで行けてなかったので、実に久しぶり。いつものように上手の前方に入る。期待にたがわず、初っ端から飛ばす貫禄のステージが始まる。選曲はあくまでも5人であった頃のもの。それも「10年前」にこだわる。つまりメンバーの方向性の相違とかの表出する前、ハードロック色の強くなる以前。もっとも動員の多かったコアな頃と言ってよいだろう。（個人的には「全盛期」と言う言葉は違和感があるので避けたい。）それ以降の好きな曲も多いのだがこれは至し方ない。何度となく演奏されてきた楽曲。聴く方も何度となく聴いているので身体が覚えている。自然と出るアクション。ただし5人のメンバーによる演奏をみるのは5年ぶりで、あらためてＷギターの生演奏を味わう。1週間置いて1/18・19。疲れたなんて言っていられない。ツアーグッズの日替わり色違いタオルは開演前に早くも売り切れ。ステージに近い方なので、あまり見えないし結構押し合ってグチャグチャでもある。しかしこの「参加している」「参戦」感がたまらず、もう一緒くたに楽しめる。まさしく「ここにいるみんながラクリマ・クリスティです」な一体感。既にファイナル2..</p>]]></description>  
    <dc:subject>ＭＵＳＩＣ…聴く。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2010-02-15T17:28:29+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
昨年秋口、突如発表された再結成。<br />
10月に実施の大イベント「V-ROCK FESTIVAL」で、当初発表の出演バンドではなかったが、追加で出演が決まったとの報であった。<br />
行きたいのはやまやまだが、イベントは体力的に厳しいので、まぁお祭り的な花火みたいなもんだろうと勝手に解釈してスルーしたものの、ついつい気になりグズグズmixiのコミュとか見ていたところ、1月にツアー！とあって。<br />
計５回（うち東京４大阪１）、ネットで抽選とか、懐具合もあって躊躇していたら第1次終了、落ちた人もいるとかで慌てて第2次に東京分全日申し込んだら全部当たってしまった（最終的には余裕があった模様）。身内でもファンがおり、流石に複数枚は無理なので１日分だけ譲り（連続だと身体がしんどいってのが本音）、まさに指折り数えつつ年明けを迎えた。<br />
<br />
1/12、ZeppTokyo。<a href="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-01-27" target="_blank">3年前のあの日</a>、この日がこんなに早く来ようとは思ってもいなかった。その同じ会場で、再び彼らに逢おうとは。もちろんあちこちのバンドで再結成なんていう話もあるし、可能性がないとは思っていなかったのであるが、とにかくサプライズであったし嬉しいことに間違いない。<br />
メンバーのTAKAとHIROのユニットLibraianのライブもこのところ小さいイベントばかりで行けてなかったので、実に久しぶり。いつものように上手の前方に入る。<br />
期待にたがわず、初っ端から飛ばす貫禄のステージが始まる。<br />
選曲はあくまでも5人であった頃のもの。それも「10年前」にこだわる。つまりメンバーの方向性の相違とかの表出する前、ハードロック色の強くなる以前。もっとも動員の多かったコアな頃と言ってよいだろう。（個人的には「全盛期」と言う言葉は違和感があるので避けたい。）それ以降の好きな曲も多いのだがこれは至し方ない。<br />
何度となく演奏されてきた楽曲。聴く方も何度となく聴いているので身体が覚えている。自然と出るアクション。ただし5人のメンバーによる演奏をみるのは5年ぶりで、あらためてＷギターの生演奏を味わう。<br />
1週間置いて1/18・19。疲れたなんて言っていられない。<br />
ツアーグッズの日替わり色違いタオルは開演前に早くも売り切れ。<br />
ステージに近い方なので、あまり見えないし結構押し合ってグチャグチャでもある。<br />
しかしこの「参加している」「参戦」感がたまらず、もう一緒くたに楽しめる。<br />
まさしく「ここにいるみんながラクリマ・クリスティです」な一体感。<br />
既にファイナル2daysが発表されていたため、「これが最後」の悲想観もなく、ただ嬉しい。<br />
<br />
初日終演後ファイナル2daysのチケット購入。<br />
暮れに公式HPで先行発売していたため、あまり良い席ではないなりに2/13は１階の半分より少し後ろ、2/14は２階袖の前の方を取る。<br />
最後がホールということで、このところずっと大きめでもライブハウスだったので遠いし…と半ば醒めていたのだが大間違いであった。ライブハウスで前に詰まってしまうと思ったように動けないのが、余裕のあるイス席では思い切り手を振り上げられるのに気づいたときには足腰がふらついていた。特に肩・腕の疲労が激しい。<br />
ビジュアル系ライブでよく見られる手扇、どんな動き方をするかでファンだった年代がわかる。古いファンは、それこそ曲ごとに歌詞に合わせた振りを見せる。最終日は2階だったこともあり、その辺りがよく見てとれた。<br />
私は見よう見まねで覚えたのがかなり後期だったし、ほとんどホールでやらなくなった頃で、それも前方で、優雅な手扇なんてやってられないし誰かがやっていても見えない。だからちょっと羨ましい。10年前の手扇が今だに自然と出てくる、つくづく愛されていたのだなと思う。<br />
以前も書いたが、ラクリマのファンは本当に温かい。というかギスギスした尖がった感がない。<br />
いや、尖がってない＝ぬるいとかでなく、刺々しさがないのだ。だから心地よい。<br />
思い切り身体を動かした数時間。いよいよ終演。<br />
アンコールが止まない。<br />
<br />
この「Resurrection」ツアーを通して、終演直後に「With-you」のカラオケが流されていた。<br />
当然のように最も広く愛されたこの曲が流れると大合唱になる。<br />
最終日はこの大合唱の後、さらにアンコールの大喝采。<br />
メンバーもこれに応えて最後のご挨拶。<br />
しかしみんな表情が明るい。今後もまた集まる可能性が示されているから。<br />
<br />
また、逢いましょう。<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2010-01-01"> 
    <title>CD「ドナドナ」Plastic Tree</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2010-01-01</link>  
    <description><![CDATA[<p>UPCH-1761（通常版）UPCH-9535（限定版＋DVD）ユニバーサル・ミュージック　2009.12.2390年代にたくさん生まれた「ヴィジュアル系」ロックバンドで、今どれだけのバンドが同じ名前で活動しているだろう。大きければ「名前」に潰されたり「ヴィジュアル系」であることを嫌ったり、また小さければ安易にメンバーごとシャッフルされた違うバンドとなったり。若さで突っ走れなくなれば食えずに消えていくしかない、と言うのは何もヴィジュアル系に限ったことではないが。入れ替わりの多い音楽シーンだか、多くのバンドがその「ヴィジュアル系」の括りを抜け出て行ったあとに、未だ「そこ」にいるバンド、プラスティック・トゥリー。しかしその音楽は唯一無二なものであるだけでなく純粋にロックであるにも関わらず、これはやはりある種「ヴィジュアル系」としか言えない何かがある。かつては確かに「白塗り」やコスプレ的な部分もあったが、既に「見た目」の問題ではない。その「世界観」への拘りが、そう思わせるのだろう。95年にインディーズデビュー。97年メジャーデビュー。以来コンスタントにシングル、アルバムを発表し、ライブをこなしてきた。そのライブでは今でもインディーズ時代の楽曲が違和感なく演奏される。変わらぬ世界観。昨年ドラムスが交替。それぞれ個性的なドラムスなのでやはりそれぞれの音の違いがある。それでも揺るぎない「プラトゥリ」の世界。今回のこのアルバムは新ドラムス加入のお披露目的なアルバムとなった。夏の武道館ライブ「テント」のコンセプトからみても、世界観としては「原点回帰的」なものが見受けられるが、そのイメージに寄りそう、ギターとベースとヴォーカルの持つ「狂気」とメランコリックさを裏打ちする音となっている。もちろん、その不変である世界観を構成する第一の要素はヴォーカル有村竜太朗の詩人・中原中也を彷彿とさせる歌詞によるものであるのは間違いない。アルバムタイトルは「ドナドナ」。誰もがあの「可哀想な仔牛売られてゆくよ」と言う楽曲を想うだろう。哀しみの裏にある心に引っかかる憂鬱（メランコリー）。為すすべもなく見え隠れする残酷さ。そのイメージをまさに本歌取りしたような全９曲である。　1999年　世界はちょっと終わりっぽかったけど　なんにもなくお伽噺な嘘は消えた　1999年　素晴らしい未来なんてないって　なんにもない自分が嫌で信じてただけ　　（1999年）　最終形..</p>]]></description>  
    <dc:subject>ＭＵＳＩＣ…聴く。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2010-01-01T22:27:32+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
UPCH-1761（通常版）UPCH-9535（限定版＋DVD）<br />
ユニバーサル・ミュージック　2009.12.23<br />
<br />
90年代にたくさん生まれた「ヴィジュアル系」ロックバンドで、今どれだけのバンドが同じ名前で活動しているだろう。<br />
大きければ「名前」に潰されたり「ヴィジュアル系」であることを嫌ったり、また小さければ安易にメンバーごとシャッフルされた違うバンドとなったり。若さで突っ走れなくなれば食えずに消えていくしかない、と言うのは何もヴィジュアル系に限ったことではないが。<br />
入れ替わりの多い音楽シーンだか、多くのバンドがその「ヴィジュアル系」の括りを抜け出て行ったあとに、未だ「そこ」にいるバンド、プラスティック・トゥリー。しかしその音楽は唯一無二なものであるだけでなく純粋にロックであるにも関わらず、これはやはりある種「ヴィジュアル系」としか言えない何かがある。かつては確かに「白塗り」やコスプレ的な部分もあったが、既に「見た目」の問題ではない。その「世界観」への拘りが、そう思わせるのだろう。<br />
95年にインディーズデビュー。97年メジャーデビュー。<br />
以来コンスタントにシングル、アルバムを発表し、ライブをこなしてきた。<br />
そのライブでは今でもインディーズ時代の楽曲が違和感なく演奏される。<br />
変わらぬ世界観。<br />
昨年ドラムスが交替。それぞれ個性的なドラムスなのでやはりそれぞれの音の違いがある。<br />
それでも揺るぎない「プラトゥリ」の世界。<br />
今回のこのアルバムは新ドラムス加入のお披露目的なアルバムとなった。<br />
夏の武道館ライブ「テント」のコンセプトからみても、世界観としては「原点回帰的」なものが見受けられるが、そのイメージに寄りそう、ギターとベースとヴォーカルの持つ「狂気」とメランコリックさを裏打ちする音となっている。<br />
もちろん、その不変である世界観を構成する第一の要素はヴォーカル有村竜太朗の詩人・中原中也を彷彿とさせる歌詞によるものであるのは間違いない。<br />
<br />
アルバムタイトルは「ドナドナ」。誰もがあの「可哀想な仔牛売られてゆくよ」と言う楽曲を想うだろう。<br />
哀しみの裏にある心に引っかかる憂鬱（メランコリー）。為すすべもなく見え隠れする残酷さ。<br />
そのイメージをまさに本歌取りしたような全９曲である。<br />
<br />
　1999年　世界はちょっと終わりっぽかったけど　なんにもなくお伽噺な嘘は消えた<br />
　1999年　素晴らしい未来なんてないって　なんにもない自分が嫌で信じてただけ　　（1999年）<br />
<br />
　最終形の感情論で君に伝えたい事があります。<br />
　僕らはみんな誰かよりもちょっとだけ幸せになりたいの。　　（梟）<br />
<br />
甘い曲調に乗せた詩は独自のアレンジの相乗効果で、ときにギョッとするほど斬り込んでくる。<br />
癒し系とも言われるのは決して「優しい」から癒しなのではない。<br />
むしろ自傷行為のような痛みを持ち、その痛みで意識を朦朧とさせたり目覚めさせたりする。<br />
それはメロディアスな曲だけでなくインダストリアルな曲についてもまったく変わらない。<br />
気がつけば何度もループして聴いている。<br />
心地よい「痛み」から抜けられない。<br />
<br />
ヴォーカル有村竜太朗を未だに「可愛い」と表現する女性は数多い。<br />
幼児性。<br />
それはイノセントであると同時に鋭い刃。<br />
内省的。自虐的。演劇的。道化。近頃の原点回帰（と言っても元よりそう大きく変わらないのが彼らの唯一無二たる所以だが）。<br />
そんなイノセントが不安を増幅するようなアレンジに乗せて切々と歌われる。<br />
<br />
　ゆれながら　ゆれながら　どこへいこう　　　（ドナドナ）<br />
<br />
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<div class="sonet-asin-area"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002S0E09M/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41ijAjkSNqL._SL160_.jpg" class="sonet-asin-image" alt="ドナドナ(初回限定盤)(DVD付)" title="ドナドナ(初回限定盤)(DVD付)"></a><div class="sonet-asin-info"><p class="sonet-asin-title"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002S0E09M/sabatoseramar-22/ref=nosim" target="_blank">ドナドナ(初回限定盤)(DVD付)</a></p><ul><li class="sonet-asin-label">アーティスト: Plastic Tree</li><li class="sonet-asin-label">出版社/メーカー: ユニバーサルJ</li><li class="sonet-asin-label">発売日: 2009/12/23</li><li class="sonet-asin-label">メディア: CD</li></ul></div></div><div class="sonet-asin-break"></div><br />
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]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2009-06-22"> 
    <title>映画「おと・な・り」</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2009-06-22</link>  
    <description><![CDATA[<p>2009　ジェイ・ストーム監督：熊澤　尚人　　脚本：まなべ　ゆきこ　　主演：岡田　准一「近隣騒音」という言葉がある。街中に住んでいれば否応なく付いてくる。機械音やら自動車の走行音、繁華街の嬌声。それは聴力を持つ以上、「音」として受け入れざるを得ない。また、「音」と言うのは完全に耳を塞がない限り聞こえてしまうやっかいなものだ。街中の音は酷ければ訴えることもできるし引っ越すこともできる。しかし「近隣」と言っても、まさに隣近所の一般的な生活音となると、そうもいかない。お互い様、ということもあり、気になっても、余程じゃなければ耐えるしかない。さて、とはいえ、ご近所の音がすべて騒音というばかりではない。慣れ、というのは恐ろしいものだが、あながち慣ればかりでなく、「何の音か」を理解すると聞こえても気にならなくなってくるのだ。もちろん慣れずにイライラの種のままの音がなくなることはないが。昨今隣人と逢うことは滅多にない生活をしている。管理のしっかりしているマンション住まいということもあって、最低限の近所付き合いといっても敷地内で会ったときに挨拶を交わすくらいで、一歩外へ出たらすぐ隣に住む人でさえ、まったくの他人である。顔も覚えていない人であるにも関わらず、その他人である隣人の生活音が騒音でもないのに気になるのは、その話声も含む「音」がまったくの無防備さから出されているから、と言ってもよいだろう。普段は気にして大きな音をだすことは控えていても、ふとした日常会話まで緊張していたら身が持たない。挨拶を交わしているだけでは見えることのない飾らない隣人の生活が垣間見える、そんなナマな音の世界。幸い我が家の隣人は若いファミリーなのだが、その「音世界」に於いては、とても穏やかで微笑ましい。これについては、その巡り合わせに感謝するしかない。目に見えるものがすべてではない、もうひとつの感覚の世界。それが「音」の世界だ。聞こえ…いや、「聴」こえてくる音が紡ぎだす世界は音楽にも似て。実際に会う…いや、「逢」うのとは違った出逢いを生みだす。むしろ「逢わない」からこその世界。無理に関わる必然性もなく、ただ隣同士、というだけの２人の「音」による繋がりの世界。男女ということもあり、お互いのプライバシーを気遣うからこそ敢て会わない、というのもあったろう。実際、「無防備な自分」を知っている人と顔を合わせるというのは気まずいものだ。「筒抜け」だからこそ気遣いあう、..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2009-06-22T20:23:47+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
2009　ジェイ・ストーム<br />
監督：熊澤　尚人　　脚本：まなべ　ゆきこ　　主演：岡田　准一<br />
<br />
<br />
「近隣騒音」という言葉がある。<br />
街中に住んでいれば否応なく付いてくる。<br />
機械音やら自動車の走行音、繁華街の嬌声。<br />
それは聴力を持つ以上、「音」として受け入れざるを得ない。<br />
また、「音」と言うのは完全に耳を塞がない限り聞こえてしまうやっかいなものだ。<br />
街中の音は酷ければ訴えることもできるし引っ越すこともできる。<br />
しかし「近隣」と言っても、まさに隣近所の一般的な生活音となると、そうもいかない。<br />
お互い様、ということもあり、気になっても、余程じゃなければ耐えるしかない。<br />
<br />
さて、とはいえ、ご近所の音がすべて騒音というばかりではない。<br />
慣れ、というのは恐ろしいものだが、あながち慣ればかりでなく、「何の音か」を理解すると聞こえても気にならなくなってくるのだ。もちろん慣れずにイライラの種のままの音がなくなることはないが。<br />
<br />
昨今隣人と逢うことは滅多にない生活をしている。管理のしっかりしているマンション住まいということもあって、最低限の近所付き合いといっても敷地内で会ったときに挨拶を交わすくらいで、一歩外へ出たらすぐ隣に住む人でさえ、まったくの他人である。<br />
顔も覚えていない人であるにも関わらず、その他人である隣人の生活音が騒音でもないのに気になるのは、その話声も含む「音」がまったくの無防備さから出されているから、と言ってもよいだろう。<br />
普段は気にして大きな音をだすことは控えていても、ふとした日常会話まで緊張していたら身が持たない。挨拶を交わしているだけでは見えることのない飾らない隣人の生活が垣間見える、そんなナマな音の世界。幸い我が家の隣人は若いファミリーなのだが、その「音世界」に於いては、とても穏やかで微笑ましい。これについては、その巡り合わせに感謝するしかない。<br />
<br />
目に見えるものがすべてではない、もうひとつの感覚の世界。それが「音」の世界だ。<br />
聞こえ…いや、「聴」こえてくる音が紡ぎだす世界は音楽にも似て。<br />
実際に会う…いや、「逢」うのとは違った出逢いを生みだす。<br />
むしろ「逢わない」からこその世界。<br />
<br />
無理に関わる必然性もなく、ただ隣同士、というだけの２人の「音」による繋がりの世界。<br />
男女ということもあり、お互いのプライバシーを気遣うからこそ敢て会わない、というのもあったろう。<br />
実際、「無防備な自分」を知っている人と顔を合わせるというのは気まずいものだ。<br />
「筒抜け」だからこそ気遣いあう、控え目で小さい「音」の積み重ねが、実は互いに相手を思いやるココロを感じさせる音…気になりつつも気に障らない音、受容された音となっていくのだろう。そこにある音には攻撃性もなく、また嫌悪感もない。<br />
<br />
物語が進んでいくうちに隣同士の２人の関係性が変わっていく。<br />
「いつもの音」に異質なものが入りこみ、その変化をもたらしたものがなくなったとき、折しも転機を迎えていた２人の人生は、すでに動き出していた。<br />
出逢いの「偶然」に気づかせたのは音であり声。すでに受容されていた音は、人間の得る外部情報の８割を占める視覚情報を飛び越えダイレクトに記憶を喚び起こす。<br />
<br />
ラブストーリーでありながら、それに留まらない脚本・演出の力、ささやかな「音」への気遣い・こだわりが、優しい音の世界を紡いでいく良作を生みだしたのだと思う。<br />
<br />
<br />
公式ＨＰ　<a href="http://www.oto-na-ri.com/" target="_blank">http://www.oto-na-ri.com/</a><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2009-01-24"> 
    <title>映画「クローンは故郷をめざす」</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2009-01-24</link>  
    <description><![CDATA[<p>2008「クローンは故郷をめざす」製作委員会監督・脚本：中嶋　莞爾　エグゼクティブ・プロデューサー：ヴィム・ヴェンダース　主演：及川　光博漆黒の宙で船外活動をするクルー。宙から見える見える美しい地球。近いうちに確実に訪れるであろう未来、これは紛れもないＳＦである。冒頭の研究施設の無機質な映像。淡々と告げられる優秀な人材の死と人知れず開発されてきたクローン技術。常に死と隣り合わせにある危険な仕事に就く怜悧な面差しの主人公・耕平。緊張感のある映像はそのまま耕平の緊張感と使命感を伝えてくる。その耕平の心の均衡は、自らが原因となった双子の弟の死と言う辛い過去を乗り越えることで保たれてきた。自責の念を「弟の分も生きて」と言う母の言葉に救われた子ども時代。そして心に誓う。「僕は死ぬわけにはいかない」。死ぬわけにいかなかった彼は、クローン再生に同意した。新技術の確立に焦る科学者たちの周到な策による「不慮の」事故後、思惑通りクローンとして復活した彼は、しかし耕平そのものでありながら「耕平」になり得なかった。生前記録されたすべての記憶…それは乗り越えていたはずの、すなわち抑制していた辛い記憶を最も強く再生することになってしまった。そしてクローンは故郷をめざす。母が帰りたがっていた故郷の家。「故郷」はまさしく日本的なウェットな風景だ。風にそよぐススキの原。川のせせらぎ。最新の技術を誇る無機質な研究所と打ち捨てられる廃屋と。その対比により「人の帰って行く場所」としての「故郷」の景色へさらに強い印象を与える。帰ってこない優しい母と気弱な弟と過ごした日々。双子の弟、死んだ自分。そしてクローン。記憶の混乱。双子と言うモチーフは、クローンと言う複製された「自己」を映す鏡、否、もう一人の「自己」の表出である。自分とは違う自分、しかしその中に自己との同一性を見つけてしまう存在。「自己」とは何だ。保管されたデータとしての記憶なのか。その問いかけは、人が人であることを知ってから常に繰り返されてきた問いである。最初に書いたように、これは紛れもないＳＦである。今まで観た「ＳＦ」と言われる映像は、どこかよそよそしく描かれてきた気がする。人間性を否定する技術に対する寓意。これまでの映像作家たちは、強い意志を持った登場人物に困難に立ち向かわせるために、乾いた舞台を用意しゆるぎない意志を乗せる強い演技を求めてきた、と思う。しかし監督・中嶋莞爾は違う選択をしたのだ..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2009-01-24T10:16:51+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
2008「クローンは故郷をめざす」製作委員会<br />
監督・脚本：中嶋　莞爾　エグゼクティブ・プロデューサー：ヴィム・ヴェンダース　主演：及川　光博<br />
<br />
<br />
漆黒の宙で船外活動をするクルー。宙から見える見える美しい地球。<br />
近いうちに確実に訪れるであろう未来、これは紛れもないＳＦである。<br />
冒頭の研究施設の無機質な映像。<br />
淡々と告げられる優秀な人材の死と人知れず開発されてきたクローン技術。<br />
常に死と隣り合わせにある危険な仕事に就く怜悧な面差しの主人公・耕平。<br />
緊張感のある映像はそのまま耕平の緊張感と使命感を伝えてくる。<br />
その耕平の心の均衡は、自らが原因となった双子の弟の死と言う辛い過去を乗り越えることで保たれてきた。<br />
自責の念を「弟の分も生きて」と言う母の言葉に救われた子ども時代。<br />
そして心に誓う。「僕は死ぬわけにはいかない」。<br />
<br />
死ぬわけにいかなかった彼は、クローン再生に同意した。<br />
新技術の確立に焦る科学者たちの周到な策による「不慮の」事故後、思惑通りクローンとして復活した彼は、しかし耕平そのものでありながら「耕平」になり得なかった。<br />
生前記録されたすべての記憶…それは乗り越えていたはずの、すなわち抑制していた辛い記憶を最も強く再生することになってしまった。<br />
そしてクローンは故郷をめざす。<br />
<br />
母が帰りたがっていた故郷の家。<br />
「故郷」はまさしく日本的なウェットな風景だ。<br />
風にそよぐススキの原。川のせせらぎ。<br />
最新の技術を誇る無機質な研究所と打ち捨てられる廃屋と。その対比により「人の帰って行く場所」としての「故郷」の景色へさらに強い印象を与える。<br />
帰ってこない優しい母と気弱な弟と過ごした日々。<br />
<br />
双子の弟、死んだ自分。そしてクローン。記憶の混乱。<br />
双子と言うモチーフは、クローンと言う複製された「自己」を映す鏡、否、もう一人の「自己」の表出である。自分とは違う自分、しかしその中に自己との同一性を見つけてしまう存在。<br />
「自己」とは何だ。保管されたデータとしての記憶なのか。<br />
その問いかけは、人が人であることを知ってから常に繰り返されてきた問いである。<br />
<br />
最初に書いたように、これは紛れもないＳＦである。<br />
今まで観た「ＳＦ」と言われる映像は、どこかよそよそしく描かれてきた気がする。<br />
人間性を否定する技術に対する寓意。これまでの映像作家たちは、強い意志を持った登場人物に困難に立ち向かわせるために、乾いた舞台を用意しゆるぎない意志を乗せる強い演技を求めてきた、と思う。<br />
しかし監督・中嶋莞爾は違う選択をしたのだ。<br />
非倫理的な技術を否定しない。美しい最新映像に乗せた「ＳＦ」と言う寓意に、それぞれの人々の「心の揺らぎ」を合わせ、より主題を鮮明にさせる。抑えた演技がそれを見事に表現する。<br />
「生きることって？」「自己とは？」それから「残したい思い」…<br />
<br />
姿を消した実は２人目であったクローンに替わり、３人目の彼は、「彼」として完璧に再生された。<br />
そして知る。消えた２人目のことを。<br />
そしてまた、クローンは故郷をめざすのだ。<br />
<br />
公式ＨＰ　<a href="http://clone-homeland.com" target="_blank">http://clone-homeland.com</a><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-10-25"> 
    <title>映画「大決戦！超ウルトラ８兄弟」</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-10-25</link>  
    <description><![CDATA[<p>「大決戦！超ウルトラ８兄弟」製作委員会（円谷プロダクション　他）監督：八木　毅　脚本：長谷川　圭一　主演：長野　博ちょっと、と言うか、相当恥ずかしいタイトルである。円谷プロが「ウルトラマン」という「文化」を常に子供を対象として提供していることの表われとは思っているが、それにしても…しかし、主役は平成３部作「ティガ」のダイゴであり、自ら夢を諦めようとしている「大人」へのメッセージを込めた物語である。タイトルこそは子供向けだが内容は昭和40年代から現在までの「すべてのウルトラ世代」に向けたものであった。もともと「ウルトラシリーズ」は子供向けに作られたものではなかった、と思う。空想科学ドラマ、ＳＦとして、世のセンス・オブ・ワンダー好きのための物語が、その荒唐無稽さから子供たちの絶大な支持を得、はかり知れない影響力を与え、多くの子供たちがその後オタクへの道を突き進んだ…のは置いといて。第2次ウルトラブームの頃からは、シリーズを重ねるごとに、すでに出来上がっていた「巨大ヒーロー・怪獣もの」＝「子供向け」の図式に嵌り込んだか既に「大きいお友達」となっていた世代は苦笑まじりに観てはいたが、それはそれで常に新しい「ウルトラ世代」を生み続けていた。平成３部作のあと、試行錯誤をしながら様々なパターンのシリーズが作られていったが、その集大成とも言うべき一昨年の「ウルトラマンメビウス」。これまでの、言ってみればある種トンデモナイ、「ウルトラ兄弟」と言う設定をすべて受け入れ、帳尻を合わせ、練り上げられた壮大な世界観、それが称賛を持って迎え入れられたのは記憶に新しい。さて、今回の設定はさらにパラレルワールドである。平成３部作のうち「ティガ」と「ダイナ」は連続していたが「ガイア」はまったく別の世界であったのを、「ガイア」終了後の劇場版にて同一世界に登場させたのと同じ手法だ。一昨年の映画「ウルトラマンメビウス＆ウルトラ兄弟」ではすんなり登場できた旧ウルトラマンだが、今回は「兄弟」ではない３部作のウルトラマンとの共演であるので簡単に世界はつながらない。それが他の並行宇宙のまったく違う世界の「記憶」を呼び起こす、と言う荒業により実現する。舞台である「世界」は現実世界と同じように「ウルトラマン」が空想ドラマとして放映されていた世界。昭和41年にすでに小学生くらいであるダイゴたちがまだ演者と同じ30代前後に見えるので、今から15～20年くらい前になるの..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2008-10-25T16:15:25+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
「大決戦！超ウルトラ８兄弟」製作委員会（円谷プロダクション　他）<br />
監督：八木　毅　脚本：長谷川　圭一　主演：長野　博<br />
<br />
ちょっと、と言うか、相当恥ずかしいタイトルである。<br />
円谷プロが「ウルトラマン」という「文化」を常に子供を対象として提供していることの表われとは思っているが、それにしても…<br />
しかし、主役は平成３部作「ティガ」のダイゴであり、自ら夢を諦めようとしている「大人」へのメッセージを込めた物語である。タイトルこそは子供向けだが内容は昭和40年代から現在までの「すべてのウルトラ世代」に向けたものであった。<br />
もともと「ウルトラシリーズ」は子供向けに作られたものではなかった、と思う。空想科学ドラマ、ＳＦとして、世のセンス・オブ・ワンダー好きのための物語が、その荒唐無稽さから子供たちの絶大な支持を得、はかり知れない影響力を与え、多くの子供たちがその後オタクへの道を突き進んだ…のは置いといて。<br />
第2次ウルトラブームの頃からは、シリーズを重ねるごとに、すでに出来上がっていた「巨大ヒーロー・怪獣もの」＝「子供向け」の図式に嵌り込んだか既に「大きいお友達」となっていた世代は苦笑まじりに観てはいたが、それはそれで常に新しい「ウルトラ世代」を生み続けていた。<br />
平成３部作のあと、試行錯誤をしながら様々なパターンのシリーズが作られていったが、その集大成とも言うべき一昨年の「ウルトラマンメビウス」。これまでの、言ってみればある種トンデモナイ、「ウルトラ兄弟」と言う設定をすべて受け入れ、帳尻を合わせ、練り上げられた壮大な世界観、それが称賛を持って迎え入れられたのは記憶に新しい。<br />
<br />
さて、今回の設定はさらにパラレルワールドである。平成３部作のうち「ティガ」と「ダイナ」は連続していたが「ガイア」はまったく別の世界であったのを、「ガイア」終了後の劇場版にて同一世界に登場させたのと同じ手法だ。<br />
一昨年の映画「ウルトラマンメビウス＆ウルトラ兄弟」ではすんなり登場できた旧ウルトラマンだが、今回は「兄弟」ではない３部作のウルトラマンとの共演であるので簡単に世界はつながらない。それが他の並行宇宙のまったく違う世界の「記憶」を呼び起こす、と言う荒業により実現する。<br />
<br />
舞台である「世界」は現実世界と同じように「ウルトラマン」が空想ドラマとして放映されていた世界。昭和41年にすでに小学生くらいであるダイゴたちがまだ演者と同じ30代前後に見えるので、今から15～20年くらい前になるのだろうか。<br />
謎の少女の言葉に導かれ突如現れた侵略者を追って時空間移動をしてきたメビウス＝ヒビノミライ。そのピンチ、また世界の危機に「覚醒」する旧ウルトラマンたち。世界と言いつつも舞台である横浜の狭い地域での攻防ではあるが、身近な愛する者を護るため、そしてそれは封印しかけていた自らの夢を実現するための勇気を試される試練という、解り易くも感情移入し易い展開である。<br />
<br />
昨年の映画の成功も手伝ってか、まさにオールスター。基本オトコノコの物語なのだが、それぞれのパートナーが勢揃いするとは。そこで気づく。そうだ、ウルトラマンって、ある種の恋愛モノだったんだ～！　魅力的な女性陣はもっぱら支え役ではあるが、みな精神的に自立している。そこらへんも彼女たちの魅力だったんだなぁ、と特に綺麗に歳を重ねている４人に再認識。見習いたいものである（笑）。<br />
<br />
セリフ回しや登場人物に盛りだくさんのファンサービス。過去の映像は最小限なのに、オールドファンから若いファンまで「おっ♪」と思わせる設定・映像がちりばめられている。新しい映像を観ているのにとてつもないバックボーンが観る者のなかにあり、記憶がそれらを補完していく、まさに「ウルトラ」ファンのためのお祭り作品なのであった。<br />
<br />
観終わって思う。<br />
「ウルトラマン」とは「愛」と「肯定」の物語なのだな、と。<br />
大切な人や世界を護ること、それがシリーズすべての根底にあり、また自分を信じること、正義を信じること、諦めないこと、一貫してブレない主張がある。そこが連綿と続くシリーズの魅力であると同時に、この作品においては、製作者側をも取り込んだ大きな「ウルトラマン」そのものへの「愛」と「肯定」による賜物なのだ、と今更ながら思うのであった。<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-09-28"> 
    <title>映画「落下の王国」</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-09-28</link>  
    <description><![CDATA[<p>原題　The Fall　（2006　アメリカ）監督：ターセム　主演：リー・ペイス世界遺産を舞台に鮮やかな色彩の乱舞。すべてロケという、ＣＧ全盛の世の中に、金より大事な「時間」を掛けた贅沢な映画である。よく次に観る作品を選ぶときに、映画館での予告編やフライヤーで目を引くもの、となるのだが、この作品は、なぜか前情報が得られなかった。上映館情報でタイトルを見かけ気になって、邦題だけで19世紀ころの不条理系ファンタジーかな、という薄いイメージを持った。去年観た「パンズ・ラビリンス」のような残酷な美しさを持つ作品かな、とも。しかし、似ているようでちょっと違う、カラッとした色彩鮮やかな空想世界が目の前に…。舞台は1915年アメリカ。物語はとある娯楽映画のロケ中の様子から始まる。失恋の痛手から自棄的になり、高所より&lt;落下&gt;した際、復帰も危ぶまれる大怪我をしたスタントマン・ロイ。撮影中の映画の場面と現実の事故の様子が入り混じるのはこれから先の物語の暗示か。不思議ファンタジー？との先入観がまず軽くいなされる。本編は入院先の大きな病院へと場面を移し、腕を怪我した少女アレクサンドリアを中心に物語が進んでいく。父を失い移民としてオレンジ農園で働く母のもと、彼女は５歳にもかかわらず収穫の手伝いに木に登り、そこから&lt;落下&gt;したのだ。好奇心旺盛な利発な少女は、腕の怪我ということもあり、じっとしていられない。探検ごっこのように病院内をうろうろし、お気に入りの看護師に書いた手紙を２階から&lt;落下&gt;させてしまい、探しに降りたところでそれを拾ったロイに出逢う。想像力豊かなアレクサンドリアと遣り取りするうち、動けないロイは自殺の企てに彼女を利用するために、彼女の気を惹く「物語」を始める…。「物語」はまったくのロイの思いつきだ。それをアレクサンドリアが頭の中で補完していく。豊かな空想力は、語り手にも還元され、やがて「物語」は共有されていく。鮮やかな映像はアレクサンドリアが思い描いている世界である。なんでもありな空想世界なはずだが…美しい現実離れした舞台（ロケ地）が実は世界各地に現実にあるものなのである。また、語られる物語は整合性など無縁な思いつきによる荒唐無稽なものなのだが、そこに幼いながらに辛い経験をもつ彼女の記憶がトラウマのように投影され、「死」のイメージとともに残虐性をも帯びるリアリティが追加される。それが煌びやか..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2008-09-28T13:33:00+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
原題　The Fall　（2006　アメリカ）<br />
監督：ターセム　主演：リー・ペイス<br />
<br />
世界遺産を舞台に鮮やかな色彩の乱舞。<br />
すべてロケという、ＣＧ全盛の世の中に、金より大事な「時間」を掛けた贅沢な映画である。<br />
<br />
よく次に観る作品を選ぶときに、映画館での予告編やフライヤーで目を引くもの、となるのだが、この作品は、なぜか前情報が得られなかった。上映館情報でタイトルを見かけ気になって、邦題だけで19世紀ころの不条理系ファンタジーかな、という薄いイメージを持った。去年観た「パンズ・ラビリンス」のような残酷な美しさを持つ作品かな、とも。しかし、似ているようでちょっと違う、カラッとした色彩鮮やかな空想世界が目の前に…。<br />
<br />
舞台は1915年アメリカ。物語はとある娯楽映画のロケ中の様子から始まる。失恋の痛手から自棄的になり、高所より<落下>した際、復帰も危ぶまれる大怪我をしたスタントマン・ロイ。撮影中の映画の場面と現実の事故の様子が入り混じるのはこれから先の物語の暗示か。不思議ファンタジー？との先入観がまず軽くいなされる。<br />
本編は入院先の大きな病院へと場面を移し、腕を怪我した少女アレクサンドリアを中心に物語が進んでいく。父を失い移民としてオレンジ農園で働く母のもと、彼女は５歳にもかかわらず収穫の手伝いに木に登り、そこから<落下>したのだ。<br />
好奇心旺盛な利発な少女は、腕の怪我ということもあり、じっとしていられない。探検ごっこのように病院内をうろうろし、お気に入りの看護師に書いた手紙を２階から<落下>させてしまい、探しに降りたところでそれを拾ったロイに出逢う。想像力豊かなアレクサンドリアと遣り取りするうち、動けないロイは自殺の企てに彼女を利用するために、彼女の気を惹く「物語」を始める…。<br />
「物語」はまったくのロイの思いつきだ。それをアレクサンドリアが頭の中で補完していく。豊かな空想力は、語り手にも還元され、やがて「物語」は共有されていく。<br />
<br />
鮮やかな映像はアレクサンドリアが思い描いている世界である。なんでもありな空想世界なはずだが…美しい現実離れした舞台（ロケ地）が実は世界各地に現実にあるものなのである。また、語られる物語は整合性など無縁な思いつきによる荒唐無稽なものなのだが、そこに幼いながらに辛い経験をもつ彼女の記憶がトラウマのように投影され、「死」のイメージとともに残虐性をも帯びるリアリティが追加される。それが煌びやかさとは違う乾いた美しい鮮やかさを下地のように際立たせるのだ。<br />
<br />
「物語」は死を焦るロイの苛立ちやアレクサンドリアの戸惑いとともに思わぬ方向に展開していく。<br />
しかしアレクサンドリアの再度の<落下>を機に、ロイの中のわだかまりが解けていく。<br />
空想の「物語」の中にも<落下>のモチーフは散見される。しかし、言葉に囚われて不条理に突き進むことなく、明るいアメリカの空の下、物語は幕を閉じるのだ。アレクサンドリアの無垢な笑顔を残して。<br />
<br />
<br />
映画公式サイトは<a href="http://www.rakka-movie.com/" target="_blank">こちら</a><br />
2008．9.28現在、東京近郊では上映が終わってしまいましたが、まだ観られる地域もあるようです。<br />
是非映画館の大きい画面で観てみてください。<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-04-19"> 
    <title>東山魁夷展　詩と旋律―遍歴の山河</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-04-19</link>  
    <description><![CDATA[<p>東京国立近代美術館　２００８．３．２９～５．１８――目の前に現れた光景…まさしくそれは海であった。遠く潮騒すら聴こえてくるような。唐招提寺障壁画、「濤声」。東山魁夷の絵と言えば国語の教科書で見たひとも多いだろう。またホテル・銀行等のロビーでお目にかかったひともいるだろう。叙情的であり精神性に富む作品群は現代日本人の感性にダイレクトにヒットする美学を持っている。印刷されたものはイラストレーションの趣きも否めないが流石に生の作品は訴求力も強い。観覧した昨夜４月１８日は朝からの大嵐であったが、夜間開館の閉館１時間前でも多くのひとが来場していた。大きな絵でも至近距離で佇むひとが何人か。まるでその世界、その作品の醸す空気に包まれたいとでも言うように、しばし動かぬひと。静謐でありながら観る者が世界に入り込もうとするのを拒まないのは、作品の持つ力であろうか、そこに居るような錯覚を感じさせるのは、抑えた色数ながら内に引き込むだけでなく外部に向かう華やかさがあるせいだろうか。生誕100年、没後10年という記念の年。初めて魁夷の作品に触れたのはいつだったか。まだ10代だったはず。日本画でありながらヨーロッパ的な（実際北欧・ドイツに取材した作品ではある）、まさに精神世界、心象風景のような作品たちにまぎれもなく直撃されたわけであるが、自分も歳をとってみるとむしろ「京洛四季」連作のほうがしっくりくる。いずれにせよ現代日本画と言うある種装飾的意匠をとりこんだジャンルならではの表現方法は、単純な「画」であるからこそ力量が問われ、またそれゆえに見る者の「こころ」に直接飛び込んでくるのだろう。展示は大回顧展ということで点数も多かった。そして展示の最後に冒頭の障壁画。これだけを観に、もう一度行ってみてもチケット代以上の価値はあると思う。（我ながら卑近だが…）公式ホームページ→こちら</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2008-04-19T16:04:02+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<span style="color:#650000;">東京国立近代美術館　２００８．３．２９～５．１８</span><br />
<br />
――目の前に現れた光景…まさしくそれは海であった。<br />
遠く潮騒すら聴こえてくるような。<br />
唐招提寺障壁画、「濤声」。<br />
<br />
東山魁夷の絵と言えば国語の教科書で見たひとも多いだろう。<br />
またホテル・銀行等のロビーでお目にかかったひともいるだろう。<br />
叙情的であり精神性に富む作品群は現代日本人の感性にダイレクトにヒットする美学を持っている。印刷されたものはイラストレーションの趣きも否めないが流石に生の作品は訴求力も強い。観覧した昨夜４月１８日は朝からの大嵐であったが、夜間開館の閉館１時間前でも多くのひとが来場していた。<br />
大きな絵でも至近距離で佇むひとが何人か。<br />
まるでその世界、その作品の醸す空気に包まれたいとでも言うように、しばし動かぬひと。<br />
静謐でありながら観る者が世界に入り込もうとするのを拒まないのは、作品の持つ力であろうか、そこに居るような錯覚を感じさせるのは、抑えた色数ながら内に引き込むだけでなく外部に向かう華やかさがあるせいだろうか。<br />
<br />
生誕100年、没後10年という記念の年。<br />
初めて魁夷の作品に触れたのはいつだったか。まだ10代だったはず。<br />
日本画でありながらヨーロッパ的な（実際北欧・ドイツに取材した作品ではある）、まさに精神世界、心象風景のような作品たちにまぎれもなく直撃されたわけであるが、自分も歳をとってみるとむしろ「京洛四季」連作のほうがしっくりくる。<br />
いずれにせよ現代日本画と言うある種装飾的意匠をとりこんだジャンルならではの表現方法は、単純な「画」であるからこそ力量が問われ、またそれゆえに見る者の「こころ」に直接飛び込んでくるのだろう。<br />
展示は大回顧展ということで点数も多かった。そして展示の最後に冒頭の障壁画。<br />
これだけを観に、もう一度行ってみてもチケット代以上の価値はあると思う。（我ながら卑近だが…）<br />
<br />
公式ホームページ→<a href="http://higashiyama-kaii.com/index.html" target="_blank">こちら</a><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-03-02"> 
    <title>ちょっとしたお知らせ。</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-03-02</link>  
    <description><![CDATA[<p>ここのスペースをお借りしているソネットブログが、このたびのリニューアルで１ＩＤで複数のブログを作成できるようになりました。そこで、更新してないメインサイトのうち唯一更新していた、読んだ本を並べて置くページ「魔女の本棚」をブログ化することにしました。「魔女の図書室」http://sabatosera-bookshelf.blog.so-net.ne.jp/こちらのカテゴリ「魔女の本棚」の書評（もどき）、日記サイトのカテゴリ「本読みの御託」の駄文と合わせて、行きつ戻りつ立体的に、お気に入りかつ境界探索のための書籍をご紹介できたらと思います。（…これによりメインサイトはますますインデックス化進行中。）</p>]]></description>  
    <dc:subject>COFFEE BREAK…独り言。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2008-03-02T10:35:03+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
ここのスペースをお借りしているソネットブログが、このたびのリニューアルで１ＩＤで複数のブログを作成できるようになりました。そこで、更新してないメインサイトのうち唯一更新していた、読んだ本を並べて置くページ「魔女の本棚」をブログ化することにしました。<br />
<br />
「魔女の図書室」<a href="http://sabatosera-bookshelf.blog.so-net.ne.jp/" target="_blank">http://sabatosera-bookshelf.blog.so-net.ne.jp/</a><br />
<br />
こちらのカテゴリ「魔女の本棚」の書評（もどき）、日記サイトのカテゴリ「本読みの御託」の駄文と合わせて、行きつ戻りつ立体的に、お気に入りかつ境界探索のための書籍をご紹介できたらと思います。<br />
（…これによりメインサイトはますますインデックス化進行中。）<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-02-23"> 
    <title>映画「潜水服は蝶の夢を見る」</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2008-02-23</link>  
    <description><![CDATA[<p>原題　Le Scaphandre et le Papillon　（２００７　フランス＝アメリカ）　監督：ジュリアン・シュナーベル　主演：マチュー・アマルリック目が覚めたときに見えるもの。これまでの自分とは違う自分。「いのち」は「重い」と言われる。しかし「いのち」ほど「軽い」ものはないのではないだろうか。風船に詰められた気体、それが「いのち」なのでは、と思う。水素のように、ヘリウムのように、軽いモノ。肉体という被膜が破れたとき、死が訪れる。まれに気体の抜けたガワだけの風船もあるかもしれない。重いはずの「いのち」は実はあまりにも呆気ない。主人公は実在の人物。瞬きだけで綴ったエッセイが原作。「潜水服」はまるで動かなくなった肉体だ。しかし表現する手段を得た彼は「蝶」のように想像力を羽ばたかせる。硬化したゴム風船の中にある軽い軽い気体。それは魂の自由とでも言えるか。彼は成功者だった。やりたいことを実現させてきた。しかし、どんな人間にも避けられないもの、それが死。でもそれ以前に、ひとは一人で生きているのではない。「家族」と言う不思議な縁がある。縁とはもちろん血縁だけでなく、友人知人通りすがり、いろいろな関わりはあるが、「家族」とはまったく別なのだ。「家族」と言う「縁」はいかに絶縁したつもりでも切れないものだ、と思う。特に親の存在は。捨てられない絆。それは自分が「老い」を感じて初めて「ほんとうに」気づく。倒れる前後を通して描かれる彼と彼の父親の関わりは、ストーリーのほんの一部ではあるが、そんな無償の何かを通して「生きていく」と言うことを語りかけてくれる。そう、いかなる人生も「生きていくこと」そのもの。親から子へ伝えられていく何か。彼が父から受け取ったものはまた彼の遺児へと伝わっていくのだろうか。生物としてのヒトの持つ、「いのち」のリレーとして。それにしてもこの映像の美しさは。美の国フランスであるゆえか、アーティスト監督の卓越したセンスゆえか。そもそも「美」の世界の住人であった主人公（世界的ファッション雑誌編集長）のセンスさえも伝わってくるようだ。そして、ひとつひとつの視点のもつ意味が、移動していくさまが、主人公への共感を生んでいく。また、病院スタッフ特に介護にあたる者の描かれ方は、もともとの原作者である主人公の「目」ゆえか。彼らと一緒にいる時間は観客という一傍観者にとっても楽しくさえあったのだ。ひとも絵も、「美しい」ものがたり..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2008-02-23T15:46:53+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<P class=auto>原題　Le Scaphandre et le Papillon　（２００７　フランス＝アメリカ）　<BR class=auto>監督：ジュリアン・シュナーベル　主演：マチュー・アマルリック<BR><BR>目が覚めたときに見えるもの。<BR>これまでの自分とは違う自分。<BR><BR>「いのち」は「重い」と言われる。<BR>しかし「いのち」ほど「軽い」ものはないのではないだろうか。<BR>風船に詰められた気体、それが「いのち」なのでは、と思う。<BR>水素のように、ヘリウムのように、軽いモノ。<BR>肉体という被膜が破れたとき、死が訪れる。<BR>まれに気体の抜けたガワだけの風船もあるかもしれない。<BR>重いはずの「いのち」は実はあまりにも呆気ない。<BR><BR>主人公は実在の人物。瞬きだけで綴ったエッセイが原作。<BR>「潜水服」はまるで動かなくなった肉体だ。しかし表現する手段を得た彼は「蝶」のように想像力を羽ばたかせる。硬化したゴム風船の中にある軽い軽い気体。それは魂の自由とでも言えるか。<BR><BR>彼は成功者だった。やりたいことを実現させてきた。<BR>しかし、どんな人間にも避けられないもの、それが死。<BR>でもそれ以前に、ひとは一人で生きているのではない。<BR>「家族」と言う不思議な縁がある。<BR>縁とはもちろん血縁だけでなく、友人知人通りすがり、いろいろな関わりはあるが、「家族」とはまったく別なのだ。「家族」と言う「縁」はいかに絶縁したつもりでも切れないものだ、と思う。特に親の存在は。捨てられない絆。それは自分が「老い」を感じて初めて「ほんとうに」気づく。<BR>倒れる前後を通して描かれる彼と彼の父親の関わりは、ストーリーのほんの一部ではあるが、そんな無償の何かを通して「生きていく」と言うことを語りかけてくれる。そう、いかなる人生も「生きていくこと」そのもの。親から子へ伝えられていく何か。彼が父から受け取ったものはまた彼の遺児へと伝わっていくのだろうか。生物としてのヒトの持つ、「いのち」のリレーとして。<BR><BR>それにしてもこの映像の美しさは。<BR>美の国フランスであるゆえか、アーティスト監督の卓越したセンスゆえか。そもそも「美」の世界の住人であった主人公（世界的ファッション雑誌編集長）のセンスさえも伝わってくるようだ。<BR>そして、ひとつひとつの視点のもつ意味が、移動していくさまが、主人公への共感を生んでいく。また、病院スタッフ特に介護にあたる者の描かれ方は、もともとの原作者である主人公の「目」ゆえか。彼らと一緒にいる時間は観客という一傍観者にとっても楽しくさえあったのだ。ひとも絵も、「美しい」ものがたりであった。<BR><BR><BR>原作本はこちら。私は未読です…。<BR><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062088673/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank><IMG class=sonet-asin-image title=潜水服は蝶の夢を見る alt=潜水服は蝶の夢を見る src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/212HR9CBZDL.jpg"></A><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062088673/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank>潜水服は蝶の夢を見る</A>　<BR><FONT size=2>作者: ジャン=ドミニック ボービー <BR>出版社/メーカー: 講談社 <BR>発売日: 1998/03/05 <BR>メディア: 単行本</FONT></P>
<DIV class=sonet-asin-break></DIV>
<P class=auto><!--/ amazon --></P><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-11-13"> 
    <title>青い夜。</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-11-13</link>  
    <description><![CDATA[<p>雲の多い夜だった。１１月も半ばと言うのにまだ寒さを感じることもない、今年の夏のとてつもない暑さが嫌でも思い出される微かに残った余熱のような暖かい夜。ちょっとばかり熱めの会話と選りどりみどりの家庭風中華料理を一通り楽しんだ後、先輩方と別れてふと、すっかり暗くなった夜空を見上げた。雲が多いと言っても空全体を覆う厚い雲ではなく、まるで昼間の秋空のように、様々な雲が浮かんでいた。空の高めのところに、独立した羊のような形の雲が、上空を埋め尽くしていた。しかしそれらは羊のように群れるでなく（つまり羊雲のようではなく）、言ってみれば真綿をちぎってまるめてばら撒いたような雲たちで、目線を下ろすと如何にも秋の鰯雲・筋雲が漂うように架かっているのとは対照的に夜空に浮かんでいるのだった。空の色は深い青。秋の澄んだ青空のまま夜を迎えていた。空だけ見上げていると、まるで黒いフィルム越しに見た白昼の空のようにも見える。雲がなければまさに「日本晴れ」のような「高い」空の中空に、群れない羊が浮かんでいた。夜空と言えば漆黒の闇のような空の色もあるだろうが、この空は妙に明るい。繁華街でもなく住宅地とも言えぬ一角で、街の灯りはあるものの、空は広く見上げる方角に視線を妨げる無粋な光源もないのに。それはあくまでも高い高い「青空」なのだ。そして浮かぶ雲もまた、「真っ白」な雲であった。私は眼が良くないので、満天の星空を知らない。もともと都会っ子でもある。しかし幼少時より空や雲を見るのは好きだった。見えないながらに星空を眺め、ときどき夜空に真の闇を感じぞくっとすることがあり、あとでそれが「コールサック（石炭袋）」と呼ばれるものだと宮澤賢治に教わった。大気の層を通した空は、真っすぐ宇宙だ。雲の無い高い高い空を見上げ焦点を解放すると、近眼ながらそのまま宇宙が見える気がする。そんなとき、何故か孤独を感じるのだ。世界がすべて切り離されたような、ただひとりで生きて行かなくてはならないような、自己の存在の危うさ、他者との関わりとの隔絶。そう、天気輪のもと、何かに衝かれるように泣き叫んだジョバンニのように。高い高い空でありながら、今晩の空は明るかった。そして優しかった。昼間の空の青さは大気に日の光が乱反射して見える色だ。そして雲の白さもまた空中の水蒸気の集まったもの・極小の水滴に光が反射しての色。光は地上からの人工のものかもしれない、いや多分そうなのだろう。太陽を背にした夜..</p>]]></description>  
    <dc:subject>MARGINAL…境界にて。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2007-11-14T01:57:13+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
雲の多い夜だった。<BR><BR>１１月も半ばと言うのにまだ寒さを感じることもない、今年の夏のとてつもない暑さが嫌でも思い出される微かに残った余熱のような暖かい夜。ちょっとばかり熱めの会話と選りどりみどりの家庭風中華料理を一通り楽しんだ後、先輩方と別れてふと、すっかり暗くなった夜空を見上げた。<BR>雲が多いと言っても空全体を覆う厚い雲ではなく、まるで昼間の秋空のように、様々な雲が浮かんでいた。空の高めのところに、独立した羊のような形の雲が、上空を埋め尽くしていた。しかしそれらは羊のように群れるでなく（つまり羊雲のようではなく）、言ってみれば真綿をちぎってまるめてばら撒いたような雲たちで、目線を下ろすと如何にも秋の鰯雲・筋雲が漂うように架かっているのとは対照的に夜空に浮かんでいるのだった。<BR><BR>空の色は深い青。秋の澄んだ青空のまま夜を迎えていた。<BR>空だけ見上げていると、まるで黒いフィルム越しに見た白昼の空のようにも見える。雲がなければまさに「日本晴れ」のような「高い」空の中空に、群れない羊が浮かんでいた。<BR>夜空と言えば漆黒の闇のような空の色もあるだろうが、この空は妙に明るい。繁華街でもなく住宅地とも言えぬ一角で、街の灯りはあるものの、空は広く見上げる方角に視線を妨げる無粋な光源もないのに。それはあくまでも高い高い「青空」なのだ。そして浮かぶ雲もまた、「真っ白」な雲であった。<BR><BR>私は眼が良くないので、満天の星空を知らない。もともと都会っ子でもある。しかし幼少時より空や雲を見るのは好きだった。見えないながらに星空を眺め、ときどき夜空に真の闇を感じぞくっとすることがあり、あとでそれが「コールサック（石炭袋）」と呼ばれるものだと宮澤賢治に教わった。<BR>大気の層を通した空は、真っすぐ宇宙だ。雲の無い高い高い空を見上げ焦点を解放すると、近眼ながらそのまま宇宙が見える気がする。そんなとき、何故か孤独を感じるのだ。世界がすべて切り離されたような、ただひとりで生きて行かなくてはならないような、自己の存在の危うさ、他者との関わりとの隔絶。そう、天気輪のもと、何かに衝かれるように泣き叫んだジョバンニのように。<BR><BR>高い高い空でありながら、今晩の空は明るかった。そして優しかった。<BR>昼間の空の青さは大気に日の光が乱反射して見える色だ。そして雲の白さもまた空中の水蒸気の集まったもの・極小の水滴に光が反射しての色。光は地上からの人工のものかもしれない、いや多分そうなのだろう。太陽を背にした夜でありながらほんのり優しい光を映す空と雲。人工の灯りに地球温暖化など人間の奢りを語ることは簡単であるが、ちっぽけな自分の居る世界は確かに人の作りだした世界で、そしてそれ以前に地球上の総てが作りだしてきた世界だ。そこには生命の繋がりがあり、循環がある。大気の層は地球の息吹、灯りの映る空そして雲はまさにその大気の有りようとも言える。この大地を取り巻く大気と言う厚いベールに生きとし生けるものの息吹を感じ、そのぬくもりが優しいのだ、と思った。<a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-09-30"> 
    <title>アニメ「天元突破グレンラガン」最終話</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-09-30</link>  
    <description><![CDATA[<p>生命とは何か。それに対しての答えは「自己複製を行うシステムである。」（「生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891) 」福岡伸一）とりもなおさずDNAという遺伝情報を、気の遠くなる時間をかけて組み換え変異を続け自己複製しながら紡いでいった結果が現在の地球上の生命である。宇宙が生まれ、地球が生まれ、有機体が生まれ。化学反応による増殖が、いつどこで自己複製に変わったのか、くるくるとそれは螺旋を巻きながら果てしなく複製を繰り返す。今の分子生物学には「利己的な遺伝子」と言う考え方があり、遺伝子そのものは「種の保存」なんてもののためにではなく、「自らの生き残り」しか目的とはしていないとのことだが、それは確かに分子レベルの思考回路があるわけでもなし当然のことだろう。巨大な分子の集積物である生命体＝生物が思考を持つためには「脳」という司令塔が必要だからだ。「人間」は他の生物と比べ特大の脳でもって特異な進化を遂げてきた。しかし昨今は言うに及ばず、「人間とは自然界から生まれたゴミであり、ゴミが地上を埋め尽くす前に滅びるべき」と言ったような考えをする「自然派」な論調をする者も多い。「神の目線」に立つことなど誰にもできないはずなのに。いつの世のことだか、おそらく遠い未来であろう地球。「神の目線」を持った者たちに抗う者が現れる。彼らは自らの存在意義なんて語らず、「自分が自分であるために」生き死んでいく。進化の過程で意思を持ち、社会を営み、他者の存在を認めそれを愛し、そのためには自己犠牲を厭わないが、あくまでもそれは自分のためなのだ。「誰かのため」という自分のための自己犠牲なのだからこそ自分を顧みないパワーを生み出せる。まさに利己的な遺伝子の力、しかしそれこそが意思の力。それが「生命の容れもの」である人間＝螺旋族なのである。「螺旋」には様々な読み解きができるだろう。無限を表すものとして人類は太古より螺旋を描き続けてきた。（装飾研究の第一人者である鶴岡真弓氏の著作等に詳しい。）コンピューターで数学的に描かれる図形。どこまでも描き続けられる同じ文様はフラクタルでこれもまた自己複製。「螺旋力」とはDNA＝生命の遺伝情報の持つ「自己複製能力」のことであり、「生命の容れもの」である人間の肉体の限界を超えて伝えられていく意思そのものなのではないだろうか。さて。前置きが長くなったが、本日最終回を迎えたアニメ「天元突破グレンラガン」。最初から飛ばし..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2007-09-30T14:06:02+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<P><!--/ amazon -->生命とは何か。<BR>それに対しての答えは<BR>「自己複製を行うシステムである。」（「<A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498916/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank>生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)</A> <!--/ amazon -->」福岡伸一）<BR><BR>とりもなおさずDNAという遺伝情報を、気の遠くなる時間をかけて組み換え変異を続け自己複製しながら紡いでいった結果が現在の地球上の生命である。宇宙が生まれ、地球が生まれ、有機体が生まれ。化学反応による増殖が、いつどこで自己複製に変わったのか、くるくるとそれは螺旋を巻きながら果てしなく複製を繰り返す。今の分子生物学には「利己的な遺伝子」と言う考え方があり、遺伝子そのものは「種の保存」なんてもののためにではなく、「自らの生き残り」しか目的とはしていないとのことだが、それは確かに分子レベルの思考回路があるわけでもなし当然のことだろう。巨大な分子の集積物である生命体＝生物が思考を持つためには「脳」という司令塔が必要だからだ。<BR>「人間」は他の生物と比べ特大の脳でもって特異な進化を遂げてきた。しかし昨今は言うに及ばず、「人間とは自然界から生まれたゴミであり、ゴミが地上を埋め尽くす前に滅びるべき」と言ったような考えをする「自然派」な論調をする者も多い。「神の目線」に立つことなど誰にもできないはずなのに。</P>
<P>いつの世のことだか、おそらく遠い未来であろう地球。「神の目線」を持った者たちに抗う者が現れる。彼らは自らの存在意義なんて語らず、「自分が自分であるために」生き死んでいく。進化の過程で意思を持ち、社会を営み、他者の存在を認めそれを愛し、そのためには自己犠牲を厭わないが、あくまでもそれは自分のためなのだ。「誰かのため」という自分のための自己犠牲なのだからこそ自分を顧みないパワーを生み出せる。まさに利己的な遺伝子の力、しかしそれこそが意思の力。それが「生命の容れもの」である人間＝螺旋族なのである。<BR>「螺旋」には様々な読み解きができるだろう。無限を表すものとして人類は太古より螺旋を描き続けてきた。（装飾研究の第一人者である鶴岡真弓氏の著作等に詳しい。）コンピューターで数学的に描かれる図形。どこまでも描き続けられる同じ文様は<A title="" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB" target=_blank>フラクタル</A>でこれもまた自己複製。「螺旋力」とはDNA＝生命の遺伝情報の持つ「自己複製能力」のことであり、「生命の容れもの」である人間の肉体の限界を超えて伝えられていく意思そのものなのではないだろうか。<BR><BR>さて。前置きが長くなったが、本日最終回を迎えたアニメ「天元突破グレンラガン」。最初から飛ばしっぱなしで突き抜けたアニメだったが、馬鹿な男の生き様な話かと思ってみていたらどうして、終盤に近づくにつれ「螺旋族」＝DNAを持つ生物の代表としての人類の存在意義すら考えさせる超オオブロシキ話になっていた。人間という愚かな生き物。それを殲滅せんとするシステム。神の目線などいらない。「種」の行く末は「種」自らが決めていくのだという明確な意思でもって突き進む。その描き方はまさに破天荒であり劇場的でありそしてそれゆえ気持ちよく突き抜けている。物語の進行に「そんなバカな」はない。すでに第１回目のキャラクターの突っ走り加減で、そんなものは吹き飛んでいる。そして描かれるのはイメージされる全ての螺旋の力でありフラクタルのような入れ子構造になったメカ。ミクロからマクロへ、そして最後は「始まり」である「ラガン」へ戻る。それは物語そのものでもあり、主人公である「穴掘りシモン」は自ら「穴掘りシモン」へ戻っていく。死んでいった多くの同志の遺志（意思）を受け継いで戦ったように、「螺旋」のシンボルである「ドリル」を次世代である若者へ手渡して。<BR>神などいらない、未来は自分たちの力で、と支配から逃れた彼ら。生命とは自己複製するシステムである。そして巨大な脳を持つ人間は意思を持ち、その意思を次世代に伝えることを知っている。遺伝情報と同じように。ラスト、２０年後の世界でシモンが道具がうまく使えずにいた子供にちょっとしたコツを教えるシーンがある。そうだ、「オトナ」とはそういうことのできる人間のことだったんだ。<BR></P>
<DIV class=sonet-asin-area><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PUB0QI/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank><IMG class=sonet-asin-image title="天元突破グレンラガン1 (完全生産限定版)" alt="天元突破グレンラガン1 (完全生産限定版)" src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/21Theog3j4L.jpg"></A> 
<DIV class=sonet-asin-info>
<P class=sonet-asin-title><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PUB0QI/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank>天元突破グレンラガン1 (完全生産限定版)</A></P>
<UL>
<LI class=sonet-asin-label>出版社/メーカー: アニプレックス 
<LI class=sonet-asin-label>発売日: 2007/07/25 
<LI class=sonet-asin-label>メディア: DVD</LI></li></li></UL></DIV></DIV>
<DIV class=sonet-asin-break></DIV>
<P><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PUB0QS/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank><IMG class=sonet-asin-image title="天元突破グレンラガン1 (通常版)" alt="天元突破グレンラガン1 (通常版)" src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/11luDSYR29L.jpg"></A><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000PUB0QS/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank><U><FONT color=#0066cc>天元突破グレンラガン1 (通常版)</FONT></U></A><BR>２００７．９．３０現在３巻まで発売済（以下毎月１巻発売）<BR><!--/ amazon --><!--/ amazon --></P><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-05-11"> 
    <title>映画「サンシャイン２０５７」</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-05-11</link>  
    <description><![CDATA[<p>原題　SUNSHINE　（２００７　イギリス　２０世紀フォックス）　監督：ダニー・ボイル　主演：キリアン・マーフィー♪　Sunshine on my shoulder makes me happy（ｂｙ　John Denver）猫でなくても日向ぼっこは幸せな気持ちになれる。日焼けは嫌だが、夏場、冷房で冷え切った身体を容赦ない日差しのしたに投げ出すと、ジリジリと肌を焼かれることに快感すら感じることもある…私だけかもしれないが。地球上の生きとし生けるもの総てがなんらかの恩恵を太陽から得ている。太陽は命の父であり信仰の対象でもある。物語の舞台は「近未来」。たぶんリアル感を出すために必要だったのだろう。５０年後の未来と言うことに意味はない。現在の天文学では太陽の寿命はあと５０億年と言われており、黒点の増減により地球環境への影響はあるものの、本作での設定のようにだんだんと非活性化で温度が下がる以前に膨張して熱による破滅がまずやってくるだろう。しかし、この物語のSFとしての寓意はそこにはない。冷え切った地球からの太陽への眼差し。欲求。命を育むものへの希求がある。太陽の寿命を少しでも永らえるために人類の文明科学の粋をもって作られたプロジェクト、そしてその宇宙船とクルーたち。使命を果たすことを何より優先する若い優秀な科学者たちである。決して帰り道の保障されていない彼らは、どこか諦めのような悲壮感を隠しながら自らをヒロイズムで奮いたたせているかのようだ。年長の精神科医は日に日に近づいていく太陽の光を求めてデッキに立つ。フィルターをギリギリまで解放し、火傷と言ってもよいほどの日差しを受ける。焼け死ぬことが本望か、と思われる船外活動時の事故をはじめとする処々のシーン。先行して行方を絶っていた宇宙船のクルーの末期。そしてその亡霊とでも言える存在。クライマックスにおける太陽の炎と対峙する主人公の表情は、悦楽にも似たものが感じられた。彼らが恐れていた「太陽に向かって落ちる夢」、実のところ「太陽とひとつになる」ことへの強い願望の裏返しだったのではないだろうか。観るひとの数だけ解釈がある…とは監督並びに出演者の弁である。私なりの勝手な解釈をしても許されることだろう。…　…　…ちょっと設定的にブラッドベリ「太陽の黄金の林檎」を思い出し、読み直してみた。こちらのクルーたちは、短編でもあり、もっとドライだ。目的が「帰る」ことであるという違いはあるが、..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2007-05-12T01:09:00+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<P class=auto>原題　SUNSHINE　（２００７　イギリス　２０世紀フォックス）　<BR class=auto>監督：ダニー・ボイル　主演：キリアン・マーフィー</P>
<P class=auto>♪　Sunshine on my shoulder makes me happy（ｂｙ　John Denver）<BR class=auto>猫でなくても日向ぼっこは幸せな気持ちになれる。<BR class=auto>日焼けは嫌だが、夏場、冷房で冷え切った身体を容赦ない日差しのしたに投げ出すと、ジリジリと肌を焼かれることに快感すら感じることもある…私だけかもしれないが。<BR class=auto>地球上の生きとし生けるもの総てがなんらかの恩恵を太陽から得ている。<BR class=auto>太陽は命の父であり信仰の対象でもある。</P>
<P class=auto>物語の舞台は「近未来」。たぶんリアル感を出すために必要だったのだろう。５０年後の未来と言うことに意味はない。現在の天文学では太陽の寿命はあと５０億年と言われており、黒点の増減により地球環境への影響はあるものの、本作での設定のようにだんだんと非活性化で温度が下がる以前に膨張して熱による破滅がまずやってくるだろう。しかし、この物語のSFとしての寓意はそこにはない。<BR class=auto>冷え切った地球からの太陽への眼差し。欲求。命を育むものへの希求がある。</P>
<P class=auto>太陽の寿命を少しでも永らえるために人類の文明科学の粋をもって作られたプロジェクト、そしてその宇宙船とクルーたち。使命を果たすことを何より優先する若い優秀な科学者たちである。決して帰り道の保障されていない彼らは、どこか諦めのような悲壮感を隠しながら自らをヒロイズムで奮いたたせているかのようだ。<BR class=auto>年長の精神科医は日に日に近づいていく太陽の光を求めてデッキに立つ。フィルターをギリギリまで解放し、火傷と言ってもよいほどの日差しを受ける。焼け死ぬことが本望か、と思われる船外活動時の事故をはじめとする処々のシーン。先行して行方を絶っていた宇宙船のクルーの末期。そしてその亡霊とでも言える存在。<BR class=auto>クライマックスにおける太陽の炎と対峙する主人公の表情は、悦楽にも似たものが感じられた。<BR class=auto>彼らが恐れていた「太陽に向かって落ちる夢」、実のところ「太陽とひとつになる」ことへの強い願望の裏返しだったのではないだろうか。</P>
<P class=auto>観るひとの数だけ解釈がある…とは監督並びに出演者の弁である。<BR class=auto>私なりの勝手な解釈をしても許されることだろう。</P>
<P class=auto>…　…　…<BR class=auto>ちょっと設定的にブラッドベリ「太陽の黄金の林檎」を思い出し、読み直してみた。<BR class=auto>こちらのクルーたちは、短編でもあり、もっとドライだ。目的が「帰る」ことであるという違いはあるが、使命感に諦念を漂わせてはいない。合わせて読むと、映画のタイトルが「サンシャイン」であることの意味が引き立つことだろう。<BR class=auto><!-- amazon --></P>
<DIV class=sonet-asin-area><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150411077/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank><IMG class=sonet-asin-image title=太陽の黄金の林檎 alt=太陽の黄金の林檎 src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/31PYZ4CVW7L.jpg"></A> 
<DIV class=sonet-asin-info>
<P class=sonet-asin-title><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150411077/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank>太陽の黄金の林檎</A></P>
<UL>
<LI class=sonet-asin-label>作者: レイ ブラッドベリ 
<LI class=sonet-asin-label>出版社/メーカー: 早川書房 
<LI class=sonet-asin-label>発売日: 2006/02 
<LI class=sonet-asin-label>メディア: 文庫</LI></li></li></li></UL></DIV></DIV>
<DIV class=sonet-asin-break></DIV>
<P class=auto><!--/ amazon -->短編集。画像の帯にあるのはまた別の映画「サウンド・オブ・サンダー」。<BR class=auto>↓手元にあるのはこちら。<BR class=auto><!-- amazon --></P>
<DIV class=sonet-asin-area><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150401098/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank><IMG class=sonet-asin-image title=太陽の黄金の林檎 alt=太陽の黄金の林檎 src="http://images-jp.amazon.com/images/G/09/x-locale/detail/thumb-no-image.gif"></A> 
<DIV class=sonet-asin-info>
<P class=sonet-asin-title><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150401098/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank>太陽の黄金の林檎</A></P>
<UL>
<LI class=sonet-asin-label>作者: レイ・ブラッドベリ 
<LI class=sonet-asin-label>出版社/メーカー: 早川書房 
<LI class=sonet-asin-label>発売日: 1976/01 
<LI class=sonet-asin-label>メディア: 文庫</LI></li></li></li></UL></DIV><BR>追記：DVDでます。<BR>
<DIV class=sonet-asin-area><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000OPVT6A/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank><IMG class=sonet-asin-image title=サンシャイン2057 alt=サンシャイン2057 src="http://ec1.images-amazon.com/images/I/21GDhbta%2BJL.jpg"></A> 
<DIV class=sonet-asin-info>
<P class=sonet-asin-title><A href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000OPVT6A/sabatoseramar-22/ref=nosim" target=_blank>サンシャイン2057</A></P>
<UL>
<LI class=sonet-asin-label>出版社/メーカー: 20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン 
<LI class=sonet-asin-label>発売日: 2007/09/07 
<LI class=sonet-asin-label>メディア: DVD</LI></li></li></UL></DIV></DIV></DIV><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-01-27"> 
    <title>1/20　La'cryma Christi LastLive”WhitePeriod．”@ZeppTokyo　</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2007-01-27</link>  
    <description><![CDATA[<p>幸せな夢を見た。一週間経った今も、そう感じている。昨年秋口、ラクリマ・クリスティーの新アルバムの発表直後に流れた一報は「解散」の２文字。８月末のライブで感じた違和感をアルバムの完成度ですっかり吹き飛ばしたばかりのところにやって来た事実。どんなことにも終わりはあると解っていてもショックはショック。ただ、５人が４人になり、音で著される世界観も多かれ少なかれ変化してきたここ数年の彼らの動向から、それは仕方のないこととして受け止めたのもまた正直なところであった。そのアルバム名を冠した１１～１２月の最後のツアーを終え、迎えたラスト・ライブ。熱狂はチケット発売時から伝わっていた。一気に売り切れ、オークションに流れたものも多かったようだ。発売日に買えず諦めかけていたが、キャンセル待ちチケットをたまたま２枚手に入れた人より定価で譲ってもらえたのは、まさに幸運としか言いようがない。開場時間過ぎてゆりかもめ・青海駅を降りて向かったＺｅｐｐＴｏｋｙｏ前は大層な人だかりで、９４年デビュー時からのオールドファンやハード路線からの男性ファンなど普段のライブより幅広い客層が見てとれる。チケットを手に入れられなかったファンもかなり来ていたのだろうか、コンサートグッズの類は既に「ＳＯＬＤ　ＯＵＴ」が目立つ。いつもより多い入場者数のため会場入りにはかなり時間がかかったが、Ｚｅｐｐの構造が功を奏して前の扉からなんとか入り込むことができた。ちょうど開演時間。客電落ちるまでしばし待つ。ほどなく始まったライブは新旧のノリの良い曲を繋いでいく、まさにＧｒｅａｔｅｓｔＨｉｔｓ！ＭＣも多く、観客にも積極的に声を掛けていくＶｏ．ＴＡＫＡ。ファンを大切にし「ここにいるみんながラクリマ・クリスティーです。」と言う彼らならではの構成。セット・リストもＭＣも、最後の夜を楽しんでもらいたい、と言う気持ちが伝わってくる。観客もそれに応える。１３年という長い期間のいろいろな時期のファンが、それぞれの楽しみ方をしている。概ね見事な「手扇」を見せるのはある程度上の年齢層の女性陣。ヴィジュアル系全盛期のラクリマ・ファンはファッショナブルな女性が多い。しっかりヘドバンする若い子たち。控えめな男の子たち。やんちゃなファンも多いが全体的にみると大人しく暖かい。私が彼らのライブに参加するようになったのは９９年のツアー・アンゴルモア、横浜の公演からだが、この観客たちの暖かさがライブの魅力だった..</p>]]></description>  
    <dc:subject>ＭＵＳＩＣ…聴く。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2007-01-28T16:03:30+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<P>幸せな夢を見た。</P>
<P>一週間経った今も、そう感じている。</P>
<P>昨年秋口、ラクリマ・クリスティーの新アルバムの発表直後に流れた一報は「解散」の２文字。８月末のライブで感じた違和感をアルバムの完成度ですっかり吹き飛ばしたばかりのところにやって来た事実。どんなことにも終わりはあると解っていてもショックはショック。ただ、５人が４人になり、音で著される世界観も多かれ少なかれ変化してきたここ数年の彼らの動向から、それは仕方のないこととして受け止めたのもまた正直なところであった。<BR><BR>そのアルバム名を冠した１１～１２月の最後のツアーを終え、迎えたラスト・ライブ。熱狂はチケット発売時から伝わっていた。一気に売り切れ、オークションに流れたものも多かったようだ。発売日に買えず諦めかけていたが、キャンセル待ちチケットをたまたま２枚手に入れた人より定価で譲ってもらえたのは、まさに幸運としか言いようがない。<BR>開場時間過ぎてゆりかもめ・青海駅を降りて向かったＺｅｐｐＴｏｋｙｏ前は大層な人だかりで、９４年デビュー時からのオールドファンやハード路線からの男性ファンなど普段のライブより幅広い客層が見てとれる。チケットを手に入れられなかったファンもかなり来ていたのだろうか、コンサートグッズの類は既に「ＳＯＬＤ　ＯＵＴ」が目立つ。いつもより多い入場者数のため会場入りにはかなり時間がかかったが、Ｚｅｐｐの構造が功を奏して前の扉からなんとか入り込むことができた。ちょうど開演時間。客電落ちるまでしばし待つ。<BR><BR>ほどなく始まったライブは新旧のノリの良い曲を繋いでいく、まさにＧｒｅａｔｅｓｔＨｉｔｓ！ＭＣも多く、観客にも積極的に声を掛けていくＶｏ．ＴＡＫＡ。ファンを大切にし「ここにいるみんながラクリマ・クリスティーです。」と言う彼らならではの構成。セット・リストもＭＣも、最後の夜を楽しんでもらいたい、と言う気持ちが伝わってくる。観客もそれに応える。１３年という長い期間のいろいろな時期のファンが、それぞれの楽しみ方をしている。概ね見事な「手扇」を見せるのはある程度上の年齢層の女性陣。ヴィジュアル系全盛期のラクリマ・ファンはファッショナブルな女性が多い。しっかりヘドバンする若い子たち。控えめな男の子たち。やんちゃなファンも多いが全体的にみると大人しく暖かい。私が彼らのライブに参加するようになったのは９９年のツアー・アンゴルモア、横浜の公演からだが、この観客たちの暖かさがライブの魅力だったのは間違いない。他のバンドの一部のファンのように他を貶めたり傷つける言動はまず見聞きしなかった。そんな心地よい記憶を辿りながらも、時間は進んでいく。<BR><BR>最近のライブでは演奏しなかった曲も含め１８曲、この日のタイトルでもある「Ｗｈｉｔｅ　Ｐｅｒｉｏｄ．」で一旦締めくくる。このタイトルを選んだのは活動のピリオドと言う意味だけではないだろう。インディーズ時代の曲でありながら、ファンの強い要望によりライブで演奏するようになった曲だ。ヘドバンありリフレインを観客に歌わせるなど一体感を求めるこの曲こそが本編のラストを飾ったのだった。<BR>アンコール。まだまだ聴いていない曲はたくさんある。一気に３曲、比較的新しい曲でハードに。２度目のアンコールでは動きの激しい曲で客席を煽り、３度目のアンコールはメジャー・デビュー曲「ＩｖｏｒｙＴｒｅｅ」そしてやはり初期の曲ながらライブの定番「南国」。そして、鳴りやまないアンコールに応えての、ほんとうに最後の１曲は、「Ｗｈｉｔｅ　Ｐｅｒｉｏｄ．」同様にファンの支持の高い「Ｔｈｅ　Ｓｃｅｎｔ」。<BR><BR>終演の時。終焉のとき。みな口々に叫ぶ。「ありがとう！」<BR>やりきった満足感。本当に充実した良いライブだった。<BR>ああ、終わったんだ。<BR>正味４時間以上？気付いたら時計は１１時近く、余韻とともにフラフラと帰途につく。<BR><BR>雨が降っている。時折ミゾレが混じる。<BR>かつてこの会場でのライブで雪が降り、急遽「雪になった二人」をやったんだっけ。今日のセットでもそれを意識したんだろうな。<BR>頭の中では名曲「Ｌｈａｓａ」がリフレインする。<BR><BR>さよなら　降り出した雨が　こころ濡らす<BR>さよなら　君の思い出が　僕に溶ける<BR>Ｆｏｒ　Ｙｏｕ<BR><BR>ありがとう。<BR><BR>…<BR>ここ数年、ほぼ地元分は皆勤していたライブですが、日記ブログに辛うじて記載するのみで、記事を書くことが出来ずにいました。でも、これだけは記録しておきたかったのです。１週間も経ってしまいましたが、まだまだ暖かい余韻に浸っています。<BR>終演後に配布されていたチラシでは、早くも新ユニットの活動が予告されていました。それがあっての前向きなライブだったのかもしれません。</P><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2006-09-05"> 
    <title>「納涼茂山狂言祭　2006」東京公演　第１日夜公演</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2006-09-05</link>  
    <description><![CDATA[<p>東京・千駄ヶ谷　国立能楽堂　９月４日　１８：３０前々からきちんと観たかった狂言の舞台。いや、きちんと、と言うか、今まで何度か観ているのがイベントとかホールでとかだったので。国立能楽堂は初めての場所だ。何かとても敷居が高かった気がする。今回のチケットはかなり前に購入した。「お豆腐狂言」を標榜する庶民派一派、茂山家。能ほど格式ばらず、歌舞伎ほど下世話でない、そんな狂言を伝統を守りつつ柔らかくノリ良く現代人に提供してくれる。もともと狂言は、能の舞台と対で演じられ、観客の心を掴む喜劇である。諧謔を旨とする「お笑い」。伝統芸能としての仕草・装束、だが能面を付けない役者が表情豊かに演じる演目は演芸として成立した当時より繰り返し演じられた日本中世の庶民の泣き笑い譚であり、それはまったく現代人の感覚と変わらない、ということを教えてくれる。今回の舞台は毎年茂山家がファンサービスのような形で演目のリクエストを受け付け、それによって決まった演目を、大阪で昼夜３回、東京で昼夜３回、全て演目を替え６回で１８の演目を行うもの。この日は東京での最初の公演日。演じられたのは「蝸牛」「鎌腹」「死神」の３本。元々狂言だけで演目を設定するときはあまりない組み合わせだそうである。前２本は伝統的演目でスラップスティックな笑い。最後の長めの「死神」は新作狂言。先月観た現代劇とも通じるシュールでブラックな笑いを提供する。この「死神」は元が落語の題材で、さらにそれはフランスの小咄なのだそう。笑いのエスプリは古今東西変わらないといったところだろうか。３本とも気負わず楽しめたが、観客もみな同様、まるで現代喜劇を観るのと同じく声を立てて笑って観ている。違うのはカーテンコールにあたるのものがなく、終わればそれまで、と言うところか。アンケートを書いて外に出る際、なぜか終了後スポンサーよりワンカップ梅酒をいただいた。（ちなみにアンケートには逸平さんが観たいと書いたミーハーな私である。）惜しむらくは流石に３公演通しで観る時間と資力がないことである。余談。初めて能楽堂に行くにあたり、何を着ていこうか迷った。着物でも着て行きたかったが、残暑厳しき折り汗だくになるのは間違いなく、流石に浴衣じゃおかしいので、結局普段着をちょっとおしゃれっぽくしただけのカジュアルな格好で出掛けた。開場前に能楽堂についたが、高齢な方から若い方まで、意外なほど普通の格好で、会社帰りのサラリーマン・ＯＬが..</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2006-09-05T07:27:50+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<P>東京・千駄ヶ谷　国立能楽堂　９月４日　１８：３０</P>
<P>前々からきちんと観たかった狂言の舞台。いや、きちんと、と言うか、今まで何度か観ているのがイベントとかホールでとかだったので。<BR>国立能楽堂は初めての場所だ。何かとても敷居が高かった気がする。<BR>今回のチケットはかなり前に購入した。<BR>「お豆腐狂言」を標榜する庶民派一派、茂山家。<BR>能ほど格式ばらず、歌舞伎ほど下世話でない、そんな狂言を伝統を守りつつ柔らかくノリ良く現代人に提供してくれる。もともと狂言は、能の舞台と対で演じられ、観客の心を掴む喜劇である。諧謔を旨とする「お笑い」。伝統芸能としての仕草・装束、だが能面を付けない役者が表情豊かに演じる演目は演芸として成立した当時より繰り返し演じられた日本中世の庶民の泣き笑い譚であり、それはまったく現代人の感覚と変わらない、ということを教えてくれる。</P>
<P>今回の舞台は毎年茂山家がファンサービスのような形で演目のリクエストを受け付け、それによって決まった演目を、大阪で昼夜３回、東京で昼夜３回、全て演目を替え６回で１８の演目を行うもの。この日は東京での最初の公演日。<BR>演じられたのは「蝸牛」「鎌腹」「死神」の３本。元々狂言だけで演目を設定するときはあまりない組み合わせだそうである。前２本は伝統的演目でスラップスティックな笑い。最後の長めの「死神」は新作狂言。先月観た現代劇とも通じるシュールでブラックな笑いを提供する。この「死神」は元が落語の題材で、さらにそれはフランスの小咄なのだそう。笑いのエスプリは古今東西変わらないといったところだろうか。<BR>３本とも気負わず楽しめたが、観客もみな同様、まるで現代喜劇を観るのと同じく声を立てて笑って観ている。違うのはカーテンコールにあたるのものがなく、終わればそれまで、と言うところか。<BR>アンケートを書いて外に出る際、なぜか終了後スポンサーよりワンカップ梅酒をいただいた。（ちなみにアンケートには逸平さんが観たいと書いたミーハーな私である。）惜しむらくは流石に３公演通しで観る時間と資力がないことである。</P>
<P>余談。<BR>初めて能楽堂に行くにあたり、何を着ていこうか迷った。着物でも着て行きたかったが、残暑厳しき折り汗だくになるのは間違いなく、流石に浴衣じゃおかしいので、結局普段着をちょっとおしゃれっぽくしただけのカジュアルな格好で出掛けた。<BR>開場前に能楽堂についたが、高齢な方から若い方まで、意外なほど普通の格好で、会社帰りのサラリーマン・ＯＬがそのままの姿で来ていたり若い女性は私同様片肌出したカジュアルな服装だったりしていたので胸をなで下ろしたのでありました。場内はさほど冷房は効いておらず、持っていった上着（ブラウス）は着ずに片肌だしたままの鑑賞とあいなりました。</P><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2006-08-11"> 
    <title>舞台「伝統の現在　ＮＥＸＴIII　眉かくしの霊」</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2006-08-11</link>  
    <description><![CDATA[<p>昨夜（8/10）、e+の「得チケ」で予約した「伝統の現在　ＮＥＸＴIII　眉かくしの霊」を観てきた。会場は新宿・紀伊國屋サザンシアター。狂言と現代劇のコラボで、主演は狂言・茂山逸平、元「東京乾電池」・谷川昭一朗。泉鏡花原作の幻想譚を狂言のおかしみと幽玄さに現代劇の洒脱さを掛け合わせて表現したもので、原作は読んでいるような読んでないような。舞台はなかなか観る機会を作れず（他に優先しちゃうものが多いので）慣れてないせいか、はたまたこのところエンターテイメントな解かり易いものばかり食していたせいか、この作品のような実験作はどの視点から観ればいいのかちょっと戸惑い気味。いや、そのままを味わえば良いのだろうけれど。狂言の様式的な諧謔表現と現代喜劇と。泉鏡花の古い言葉がつむぎ出す怪奇幻想世界を一瞬方向性が違うとも思われる「おかしみ」により表現していく。それが不思議な狂気をかもし出す。シンプルでフレキシブルな４組の建具の組み合わせが舞台に迷宮を作りだす。１時間ちょいの舞台はどんどんその迷宮を進んだあと唐突に終わる。迷路の果てはえもいわれぬ狂気。そしてそれは「諧謔」そのものでもあった。造詣どころか基礎知識も乏しい中での鑑賞は、真たるものを看る目を持たないが、素人なりに味わっていければいいかな、と思う。鏡花は改めて読むことにする。</p>]]></description>  
    <dc:subject>VISUAL＆ARTS…観る。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2006-08-11T12:40:46+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<P>昨夜（8/10）、e+の「得チケ」で予約した「伝統の現在　ＮＥＸＴIII　眉かくしの霊」を観てきた。会場は新宿・紀伊國屋サザンシアター。<BR><BR>狂言と現代劇のコラボで、主演は狂言・茂山逸平、元「東京乾電池」・谷川昭一朗。泉鏡花原作の幻想譚を狂言のおかしみと幽玄さに現代劇の洒脱さを掛け合わせて表現したもので、原作は読んでいるような読んでないような。<BR><BR>舞台はなかなか観る機会を作れず（他に優先しちゃうものが多いので）慣れてないせいか、はたまたこのところエンターテイメントな解かり易いものばかり食していたせいか、この作品のような実験作はどの視点から観ればいいのかちょっと戸惑い気味。いや、そのままを味わえば良いのだろうけれど。<BR>狂言の様式的な諧謔表現と現代喜劇と。泉鏡花の古い言葉がつむぎ出す怪奇幻想世界を一瞬方向性が違うとも思われる「おかしみ」により表現していく。それが不思議な狂気をかもし出す。シンプルでフレキシブルな４組の建具の組み合わせが舞台に迷宮を作りだす。<BR>１時間ちょいの舞台はどんどんその迷宮を進んだあと唐突に終わる。<BR>迷路の果てはえもいわれぬ狂気。そしてそれは「諧謔」そのものでもあった。</P>
<P>造詣どころか基礎知識も乏しい中での鑑賞は、真たるものを看る目を持たないが、素人なりに味わっていければいいかな、と思う。<BR>鏡花は改めて読むことにする。</P><a name="more"></a>
]]></content:encoded> 
  </item>  
  <item rdf:about="http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2006-04-20"> 
    <title>春の紅葉</title>  
    <link>http://sabatosera.blog.so-net.ne.jp/2006-04-20</link>  
    <description><![CDATA[<p>ソメイヨシノもヤマザクラも既に葉桜となり、重たげな八重桜の花やヤマブキ、カイドウ、そして早くも植込みのツツジや街路樹のハナミズキが咲き始め、花壇のチューリップやプリムラ、パンジーなどと相まってまさに百花繚乱の季節である。陽光に煌めき異世界へと誘う桜の花の下、ともすれば上ばかり見てしまっていたが、ちょっと視線を降ろすと燃え立つような赤。それは家々の生け垣で普段は四角張っている常磐木の若葉。一斉に芽吹く若い葉の、命の燃焼を感じる赤、と言うより血潮のような紅（くれない）。それは今までの緑が不自然に思えるくらい木々の表面を覆い尽くし、同じく生け垣として植えられた大輪のツバキの花も霞むほどの圧倒的な色合いでそこにあり、サクラと競合した後もそこに留まり未だ燃え続けている。若芽が伸び、整っていた表面が乱れたことで炎が立つようにも見える。紅の炎を燃やすこの中低木常緑樹の名は「ベニカナメモチ」。「アカメモチ」とも呼ばれる。漢字で書くと「紅要黐」「赤芽黐」。多分これは「レッドロビン（セイヨウベニカナメモチ）」と言う品種と思われる。根付きの良さから普通のベニカナメモチから切り替わっているようだ。この春から初夏にかけての鮮やかな紅葉と管理の楽さから生け垣への使用が増えているようで、気が付くとあちこちで燃える赤い葉が見られる。白い花・赤い実。だがこの樹の本領はやはりこの若葉だ。秋の紅葉は「錦」、同じ「燃える」でも冬に向かい命の有終の美のような感じなのに対しこの紅葉は生まれ出るエネルギーを感じる。春と言う季節の持つ、抑圧から解放されたような命の奔流、その象徴のようだ。街を歩くと、もうここかしこに若い芽がまさに伸びんばかりの姿を見せており、その若葉の間にひっそりと花を咲かせる街路樹たち、より原始に近く細胞の成長が目に見えるようなイチョウ。まるで夢の中でトトロの創り出す森の木々そのもの。あちこちで生命の始動が見てとれる。狂おしいほどの生命感。じっとしていられない。木の芽時とは良く言うが、こういったものの人心への影響は計り知れない。「燃える」は「萌える」。「萌」が草冠なのはこんな感じを表しているのだろう。「芽ぐみ」が「恵み」であるように。「始まり」の季節である。</p>]]></description>  
    <dc:subject>MARGINAL…境界にて。</dc:subject>  
    <dc:creator>まりりん</dc:creator>  
    <dc:date>2006-04-21T01:39:59+09:00</dc:date>  
    <content:encoded><![CDATA[
<P>ソメイヨシノもヤマザクラも既に葉桜となり、重たげな八重桜の花やヤマブキ、カイドウ、そして早くも植込みのツツジや街路樹のハナミズキが咲き始め、花壇のチューリップやプリムラ、パンジーなどと相まってまさに百花繚乱の季節である。</P>
<P>陽光に煌めき異世界へと誘う桜の花の下、ともすれば上ばかり見てしまっていたが、ちょっと視線を降ろすと燃え立つような赤。<BR>それは家々の生け垣で普段は四角張っている常磐木の若葉。<BR>一斉に芽吹く若い葉の、命の燃焼を感じる赤、と言うより血潮のような紅（くれない）。<BR>それは今までの緑が不自然に思えるくらい木々の表面を覆い尽くし、同じく生け垣として植えられた大輪のツバキの花も霞むほどの圧倒的な色合いでそこにあり、サクラと競合した後もそこに留まり未だ燃え続けている。<BR>若芽が伸び、整っていた表面が乱れたことで炎が立つようにも見える。</P>
<P><IMG src="http://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_b99/sabato_sera/3174017.jpg"><BR>紅の炎を燃やすこの中低木常緑樹の名は「ベニカナメモチ」。<BR>「アカメモチ」とも呼ばれる。漢字で書くと「紅要黐」「赤芽黐」。<BR>多分これは「レッドロビン（セイヨウベニカナメモチ）」と言う品種と思われる。<BR>根付きの良さから普通のベニカナメモチから切り替わっているようだ。<BR>この春から初夏にかけての鮮やかな紅葉と管理の楽さから生け垣への使用が増えているようで、気が付くとあちこちで燃える赤い葉が見られる。白い花・赤い実。だがこの樹の本領はやはりこの若葉だ。</P>
<P>秋の紅葉は「錦」、同じ「燃える」でも冬に向かい命の有終の美のような感じなのに対しこの紅葉は生まれ出るエネルギーを感じる。<BR>春と言う季節の持つ、抑圧から解放されたような命の奔流、その象徴のようだ。<BR>街を歩くと、もうここかしこに若い芽がまさに伸びんばかりの姿を見せており、その若葉の間にひっそりと花を咲かせる街路樹たち、より原始に近く細胞の成長が目に見えるようなイチョウ。まるで夢の中でトトロの創り出す森の木々そのもの。あちこちで生命の始動が見てとれる。<BR><BR>狂おしいほどの生命感。じっとしていられない。<BR>木の芽時とは良く言うが、こういったものの人心への影響は計り知れない。<BR>「燃える」は「萌える」。<BR>「萌」が草冠なのはこんな感じを表しているのだろう。<BR>「芽ぐみ」が「恵み」であるように。</P>
<P>「始まり」の季節である。</P><a name="more"></a>
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